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           bakuのブログ 旅の道草(044)
坊ちゃん列車と…                      (ameblo 2017.08262 掲載)
(掲載日:2017.08.26)
IYTETSU・大観覧車ぐるりんに乗る

   
伊予鉄高島屋の観覧車ぐるりんに、伊予鉄2Day Passおまけの入場券で乗り込みます。
昔、サマーランドで乗って以来、どんな眺めだろう……。

   
左手に松山城が見えて、ゆっくり15分位の遊覧でした。

   
高島屋一階の西側に高浜線など郊外線の松山市駅のホームが有り、駅前ターミナル広場に市内線の乗り場があります。

IYTETSU・坊ちゃん列車にご対面

   
坊ちゃん列車は到着して乗客を降ろすと、速やかに転換台で車体を持ち上げて、人力手動で進行方向に変え客車も人出で動かします。

   
方向転換した機関車(ディーゼル)に再び客車を連結します。

   
そして、専用乗り場に。
引っ切り無しに電車が出入りするので、居合わせた運転手も応援しての転換作業でした。

   
専用改札口で、何やら取材の撮影でしょうか。

   
松山市駅前を出発する坊ちゃん列車(1号機関仕様)。

   
西堀端電停付近。JR松山・古町に向かう坊ちゃん列車(14号機関車仕様)。

   
道後温泉の専用待機線に停車中の坊ちゃん列車。

   
伊予鉄高浜線の梅津寺駅に隣接する公園に、実機の1号機関車が展示されています。但し客車はレプリカです。

   
軽便鉄道のSLだから運転台も可愛らしく、窯とボイラーも含めて遊園地のミニチュアみたい。マッチ箱のような汽車と言う表現がぴったりですね。

   
改修されたとはいえ、明治時代の実機とは思えない程ピカピカ。

   
1988年映画「ダウンタウン・ヒーローズ」の中で、旧内子線五十崎駅付近で実機を走らせたスクリーン映像です。

そして、坊ちゃん列車と言えば夏目漱石。司馬遼太郎著「坂の上の雲」と言えば、秋山好古・真之兄弟と正岡子規ですね。

ドラマ「坂の上の雲」は、渡辺謙さんのナレーションで始まります。
まことに小さな国が、開化期をむかえようとしている。小さな、といえば、明治初年の日本ほど小さな国はなかったであろう。産業といえば農業しかなく、人材といえば三百年の読書階級であった旧士族しかなかった。明治維新によって、日本人ははじめて近代的な「国家」というものをもった。だれもが「国民」になった。不馴れながら「国民」になった日本人たちは、日本史上の最初の体験者としてその新鮮さに昂揚した。この痛々しいばかりの昂揚がわからなければ、この段階の歴史はわからない。社会のどういう階層のどういう家の子でも、ある一定の資格を取る為に必要な記憶力と根気さえあれば、博士にも官吏にも軍人にも教師にもなりえた。・・・
・・・もう一人は、俳人になった。俳句、短歌といった日本のふるい短詩型に新風を入れてその中興の祖になった正岡子規である。彼らは、明治という時代人の体質で、前をのみ見つめながらあるく。のぼってゆく坂の上の青い天にもし一朶の白い雲がかがやいているとすれば、それのみを見つめて坂をのぼってゆくであろう。この物語は、明治初年の日本という小さな国がヨーロッパにおける最も古い大国の一つロシアと対決し、どの様に振る舞ったかという物語である。

最近、司馬遼太郎氏の生原稿が幾つか見つかったそうですね。
「竜馬がゆく」の原稿には修正が加えられているけど、「坂の上の雲」は書き出しから十数行はほとんど書き直しが無かったそうです。
批評には、頭の中で文章が出来上がっていて、作品にかける気迫が感じられると書かれてありました。漱石の草枕は名文だけど、僕はこの文章もかなり好きです。
ドラマの中で、
「五月雨をあつめて早し最上川」・・・芭蕉
「五月雨や大河を前に家二軒」・・・蕪村
子規が写生句として、蕪村の句が優れていると、活き活きと目を輝かせるシーンが印象に残ります。


小生は自己流で俳句を始めて半年、もどきを含めると二年ちょっとなのですが……
「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」は、がっつり情景の広がりが一様に素晴らしと思うし、
「須磨寺や吹かぬ笛きく木下闇」にみるような、背景に寺所蔵の敦盛所縁の青葉の笛があるという、奥行きの物語性も僕は好きですね。

これら名句を手本に俳句や歌が詠めたら良いなと、捕らぬ何とかで書いているときは夢中でこれで良しとするのですが、時間を経て読み返すとまだまだの作品が多いのがまだ現実です。だから読み直した時が推敲日。潔くは無いけどしょうがない。


ところで「五月雨をあつめて早し最上川」は、もともと「五月雨をあつめて涼し最上川」だったそうです。俳聖と言われた芭蕉でも推敲して直すんですね。小生の場合は未熟ゆえの言葉の置き方に終始しますが、それでも少し救われます。

伊予鉄・梅津寺

   
因みに高浜線の梅津寺駅は、JR予讃線の下灘駅より海に近い駅でした。

   
海の透明度も素晴らしかった。

   
東京ラブストーリーロケ地と書いてありました……。見ていた方は、何か思い出して胸キュン出来るといいですね。

今回はちょっと強引な振りで、旅の空、ひかりと影、そして想い出一つ…です。

…日盛りの踏む影ひとつ遠からじ…
 ここ梅津寺には、少し前まで通園地と海水浴場が併設されていたそうです。観覧車の有った面影はもう有りませんが、そう知っただけで光と影と、何やら郷愁めいて思い出一つを近くに感じました。

…片陰や一羽きよげに休みをり…
 愛し方が分からないと泣いた人が居た。そしてこうも言った。一人で居る時が一番安心するって。ぎくしゃく付きで始まった恋だけど、その時僕は好きだと言う気持ち以外に何を考える必要があるのかと思っていた……。
 だけど、そんな彼女が清げで好きでした。



…当てもなし果実(過日)のかをる夏なごり…
 今僕はその一人と言う事を考えている。一人は気儘で良いと言っても、寂しくないと言えば嘘になる。しかしあの人の言った一人(心の平穏だと思う)が、別の意味で安心を繫いでる。歳を取ったものだろうか、欲しいものはそれほど多くは無いし、好きな旅をして想い出に浸ったり、感じた事を文章にして日々穏やかに過ごすことを専らとすれば事足りるような気もする。
 あり得ないだろう幽かな夢想だけれど、もののあはれを知る結果にこそ由ありとして、再び相まみえ旅の町歩きが出来たら、それは何と楽しみなことだろう……。

思い出を懐かしむだけではなく、続きまで想像してしまうだから本当に歳を取ってしまったなと感じます。
以前の記事を繰り返すようですが、子供返りと言うか全てを超えて、少年の気持ちが甦ることが嬉しいというところでしょうか。


では、今回はここまで。お付き合い有難う御座いました。


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