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 桑原縛逐『詠み歌集・小エッセイ』のページへようこそ

若い頃詩や短歌を創作しておりましたが、ブログを2014.5月頃開始し同年9月に短歌を小エッセイとセットで掲載しました。
まだお僕もやれば出来るんだ、そう実感できて正直嬉しかったです。
ブログを始めたのは自作小説のPRが目的でしたが、記事を書き続けている内にこの短歌も数十年の空白を越えて自然に書けたような気がします。
短歌(31文字)を何故詠み歌とするかは、次のページ の冒頭で、またこのページの最後に記しました。
それでは詠み歌集の第1作目、僕にとって記念となる小エッセイ・短歌をご紹介させていただきます。

確かあの日の箱根は夏霞みの中にありました
近くに見るものはくっきりとその時を刻み
遠見を阻む霞はベールの中の心模様の暗示のように
今振り返ると
思い人への思慕の情をあの時確かに抱えていたように思うのです
それは相対する陰陽の起伏というより
むしろ心には色々な引き出しがありまして
その時無意識に近いものが何かに作用され
時空を超え意識を得るとでも言うのでしょうか
どうやら私のこころは多重的にものを感じ考えて
時を占有する気持ちも不思議と気儘なのであります

歌を詠むなど何十年振りだろう

 
夏霞み 思いは挑(のぞ)む かなたへと
        うた(思い)届かなば 木霊に宿れ

私にも恋しく思う人がおりました
丁度その頃その思いを諦めようとしておりました
この歳だから分別盛りだからといっても
かりそめにも誕生日のプレゼント交換などして
一緒になれたらいいねと
可愛いデコメや写メなどたくさんもらったりして
それはとても楽しい時間を過ごせたからなおのこと
彼女の先の人生が幸せであるようにと願うのです
けれど難しいですね
簡単に忘れさることなどできません
時に何故この俺を苦しめるのかと恨みに思う事もありましたが
それも強い思いが有ってこそ
人が思いをめぐらす相対の情として
今は時に思いを委ねようと思っております
ゆっくり、ゆっくり、あるがままをく受け入れて

では今度31文字とは別に散文詩にしてみます

私の思いの丈よ
どうかこの霞を越えて
遠く離れてしまった愛しい人へ届いておくれ
今届かぬなら木霊に宿り
うた(思い)を今に留め
愛しい人をこの地に誘い
山彦となって私の思いを伝えてほしい
                             2014.0927 桑原縛逐

この作品はbakuブログ旅の道草(0009)に掲載したもので、NHKの投稿番組に応募したのですがブログ・ホームページ掲載されたものは投稿資格を失う基準があり土俵にもあがれませんした。
急遽、短歌と俳句を別に創作しお題など気にせず敢えて自由枠で投稿しましたが結果落選でした。
振り返れば勢いばかりで、その投稿作品は落ちて当然の急拵えでした。
僕は俳人・歌人・詩人でもなく、自作小説を書いた自称文筆家としての技量であり、増して即興で気の利いた歌など作れるはずもなかったのです。
でも不思議です。その時はどうにも収まらなくて、それなら独自の詠み歌の形を作ってしまえと考えた結果生まれたのが、ここに紹介する詠み歌集なのですから。

次に、自身にやる気を促すための企みを記しまします。
俳句は詫びさびの無心(客観)の境地でキレや軽みの韻律を重視し、17文字に技法を凝らし全てを詰め込みます。
一方短歌は凡そ自由で季語の縛りもなく心情や情念の有心(主観)を表現したりします。
なら両方を混ぜこぜにしてしたら面白いと考えたわけです。
元々短歌の始まりは、一句から三句をよ詠んだもに、別の詠み手が四句と五句を加える連歌方式だったそうです。
また俳句にも俳諧連歌があるようですが、僕の場合は独り詠み少連歌風一句一首と銘打ったわです。
これは既存の俳句・短歌に反駁するものでなく、自己啓発の幟旗のようなものであくまでも自己満的世界観の自由定型詩なのです。
古典に造詣も無く、また決まりに事に馴染めぬ気儘我儘者の詠み歌ですが上達すればお慰みと、以降お付き合いのほど宜しくお願い致します。


                                            
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