⇒ 保管No-045 bakuのブログ 旅の道草(0015) 京都の旅 1 (朝散歩boku時間) (ameblo 2015.08.21 掲載) (2012.07.07)6時前に起きて洗面後、一人で早朝散歩に出掛けました。 “ホテルりょうぜん”を少し南に進み、霊山本廟の脇道を道なりに下ると、産寧坂に続く道に出ます。 詩 空は明るさを増しつつ 陽光は既に町家の屋根に届いている 通りはまだ明けきらず行き交う人も無い 僕は蝉鳴けどなお静寂の中の風になる 森の木々もまたそよそよと 朝の気配に同化して お早う…気持ちの良い朝だね…… 優しく囁いていた 家の朝も始まっていて… お勝手で母さんの味噌汁の湯気がたっている いい匂……小さな子供が目を覚ました 父さんは新聞を読みながら団欒の朝餉を待っている お早うみんな…さぁ~一日が始まるよ 僕はそんな景色を体中で感じていた 夜と昼の切れ目のない朝に 忘れてはいないよ…切り離せないものを近くに感じただけなんだ 平成27年8月14日 縛逐 一年中の殆ど今でも…ぼぉーとしいてる僕なんですが…(笑) 早朝の京都東山の町家(板張り・木造2階建て)を歩きながら、ふと子供の頃過ごした夏の中野区上町を思い出しました。 この涼しげで目を覚ましきれない生暖かい微風は、あの日の朝のラジオ体操に行く時間にも有ったように思えて、往きの眠くてぼぉーとした頭で会場のお伊勢の宮までの通い道を感じたのです。 ラジオ体操も終わり、すっきり目の覚めた帰り道は、もう母の作る“朝ご飯”特にお味噌汁が待ち遠しくて… そう思うと何だか一日の始まりが嬉しくなってきてくるのです。幸せってほんの些細なことでも、それが思い出でも感じるものなんですね…… 京都の旅(2)・早朝の産寧坂~清水寺 四辻を左に曲がり南に道を進むと産寧坂で、私以外まだ誰も居りません。 坂を上りきる手前左側に明保野亭が有りました。 池田屋騒動直後に、新撰組に派遣された会津藩士(柴司)よる土佐藩士(麻田時太郎)誤傷害事件が起きたところで、位置と建物は当時のままでは無いそうですが、当時の茅葺門は現存しているそうです。 また、竜馬さんの常宿の一つだったとか… とすると、時太郎も実は尊攘派だったのでは…なんてね。 一方は武士道をたて、一方の柴は公武合体派藩同士の衝突を避けるために自主的に切腹する結末は、やはり世相の悲劇なのでしょうか…… お店もまだシャッターを下ろしたままです。 宿から徒歩で20分くらい、清水寺の仁王門前に着きました。 結局道中一人貸し切りで、 “あれやこれや”思いを巡らせたのか… ただぼぉーとしながら夢見してたのたのか分かりませんが…(笑)とても贅沢な時間でありました。 拝観はAM6時からなので、中に入ると観光客も数組おりました。 舞台から市内中心部の眺めです。 お決まりの1枚も写真に収めました。 さて、帰り道。 ぽっぽつとお店も開き始めています。 京扇子…私には縁が無いけど、いやぁー鮮やかで綺麗でした。 来た道ですけど、帰りは景色が全く違った感じです。 この道で、よかったよな…(笑) 地元の人でしょうか。犬を2匹連れての朝の散歩、いい感じです。 希望を言えば、京都市内に電車で気軽に来られるくらいの所に越したいものです。 無事道に迷わずホテルに戻りました。 部屋からの眺めと、この年に買い替えた車をパチリ。 往きは開通したばかりの真新しい第二東名で、帰りは山岳地帯を走る中央高速を使いました。 時間にすると片道4時間以上かかりました。 やはり遠出の旅は新幹線か飛行機がいいですね。 では、今回はここまで。 お付き合い有難うございました。 ページトップへ ⇒ |