⇒ 保管No-086 bakuのブログ ある日の風景(009) 大阪・土佐堀川 (ameblo 2017.01.13 掲載) 2017.01.12掲載 肥後橋から淀屋橋へ(2016.11月下旬) 肥後橋から土佐堀川に架かる石造り橋が気になります。 錦橋と言いかつて可動堰の歩道橋だったそうです。 小学生の頃だろうか、近所に住んでいた友達が夏休みになると大阪の親戚の家に行くというのが羨ましかった。 僕の方は父方の本家も無くなり母方は横浜だったから、夏休みは専ら横浜か従姉妹のいる練馬に行くくらいで、友達の話に出る広い淀川のある大阪がどういうところなのか、中野から大阪の距離にも興味を持っていたのを覚えています。 趣きの有る橋の欄干で…… 居心地が良いのか寒いのか分かりませんが、じっと固まっている鳩を手前入れて、肥後橋を行き交う人並みと高層ビル群を撮りました。 真上には冬暖の空が顔を覗かせていても、高層ビルの立ち並ぶ谷底のこの場所には満足に日も当たりません。 冬の陽だまりで寛ぐネコは柔らかな絵になり好きだけど、この鳩達の日差しも頼りとしない姿は痛々しいどころか中々共感するものがあります。それは気儘道、あるが儘気儘に生きるしかないに通じるような気がして、何だかチュでもしたい気分でありました。 そして…… 仕事場へ急ぎ橋を行き交う人に、見えるものが生活を作り生きるという一点になると、大事なものを守るための直向きな行者の様に映って、やはり人は性善説こそ相応しいと感じたりもするのです。 突然ですが…… 出来る事なら、子供達が健全に育つうえで社会・家庭・教育が大事だなと、そんな感慨も派生的に頭を過ります。6人に1人の子供が貧困で良いわけがなく、毎度の事ですが中間層が核となる高福祉社会を望めたらなと思うのです。 だって…… 縄文時代の人々の協力が狩猟・採取のためだとすると、知恵は互い直接生きるためのものでした。しかし収穫による蓄えが可能になると、知恵は効率を求め如何に富を得るかのための競争に働き、協力も防衛・侵略へと変化してしまう。 幸い今は民主主義により平和であるけれど、社会を構成する重要な基盤である協力と分配に歪が大きくなっているように思うのです。 我々の祖先は8千年もの長きに渡り、平和な縄文時代を生きたのです。きっと日本人にはそのDNAが深くしみ込んでいると思うから、競争が悪いと言う事ではなく行きつくところは支え合いの精神で、究極の中間層が核となる高福祉社会の理想も夢で無いような気がしています。きっと……。 相変わらず脈絡が有るのか無いのか、あれもこれも書こうとする僕ですが、もう少しだけ…… 肥後橋から、土佐堀川沿いに京阪淀屋橋駅まで更に歩きます。 京阪電車カレンダーも今年で3年連続。帰りにしっかり淀屋橋駅事務所で買い求めました。これもこの旅のささやかな目的の一つでした。 淀屋橋9時発のダブルデッカー車の2階席(無料)に乗り込み、電車好きの僕は出町柳に向けて…… では、出発進行! では、今回はここまで。 お付き合い有難う御座いました。 ページトップへ ⇒ |