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保管No-033

              bakuのブログ 旅の道草(0013)
箱根湯本から早雲寺                              (ameblo 2015.02.03 掲載)

この日は車を早雲寺の駐車場に置いて、箱根登山鉄道の乗り鉄をしました。
以前記事にした日に再び題材を求めます。
旅の記憶や風景写真をたまに振り返ると、その時言葉に出来なかった事やまた別の視点で観る思考も加わり、外に出る機会の少なった私にはまんざら益の無い事でもなかろうと思ったりもします。
それとも気持ちは旅に出たいけど、ただ寒さ故に温い家から極力出たくないから、過去旅にしがみつくだけだろうか。
冬でも話は夏の季節。
さて心の引き出しも、時空さえ気儘に渡る私の時知らずそぞろ旅ですが、時鮭のようにお味はどうでしょうか……(笑)
山合を行く箱根登山鉄道には、宮ノ下から塔ノ沢の間に見逃せないスイッチバック駅の大平台があり、信号所の2回と合わせ3度スイッチバックがあります。車窓の外の夏の日差しは強く、その木漏れ日の輝きが人々の旅情をキラキラ照らし踊り囃せば、今は独りの私も何だか恋人と一緒だったあの日に思いを巡らしたりして、僕もまだまだ諦めてないぞと希望も与えてもくれるのです。
そんな旅好きの夢見ちゃん達を乗せた電車は、心のゆり籠を揺らすかのようにゆったりと勾配を下り終点箱根湯本駅に到着します。

    
小田急特急専用ホームには、1440分発メトロ箱根22号が停車中で、代々木上原から東京メトロ千代田線に乗り入れ北千住まで直通運転されています。
また箱根登山鉄道は線路幅が広く、小田急の線路は狭軌なので入生田まで線路が3本の3線軌条になります。
おっと、ホーム先端に行きその写真を取っておけば良かった。


 
国道1号を跨ぐ陸橋から、箱根湯本駅と商店街を撮りました。
伊豆稲取の土産物屋の支店で、私の好物の金目と牛蒡の田舎煮を買いました。美味いんだなぁ…これが。

 
早川を渡ります。すると正面に萬壽福旅館がありました。
玄関の唐破風屋根が特徴的で、木造3階建ての純和風は今も健在営業中のようでした。

       
道はなお細くなり行き交った車の中の家族連れらしき幸せそうな団欒が、私の記憶の振り子を動かせばあの日に有った懐かしさとなって、ふとした気持ちの振動で私は確かに温もりを感じるのです。それは無くしたものではなく、存在した事実として肌身に沁み付いた私の人生細胞だからでしょうか。
しかし嫌な事は余り思い出しませんね。だから私は生き上手!?……???(笑)

       
萬壽福旅館を左折して須雲川を越え、急坂を道なりに上り旧東海道出ると、通り沿いに早雲寺があります。
もうここまで来ると車も人の往来も少なく、とういより私一人しかおりませんでした。
早雲寺には伊勢新九郎盛時、後の北条早雲から5代氏直までのお墓があります。
鎌倉の北条氏と区別するため後北条氏とも言われますが、戦国時代の三悪人(斎藤道三・松永久秀・宇喜多直家)に匹敵するというより、その先駆けとなった人物と評されているようです。

因みに私の先祖は、戦国の梟雄松永久秀・三好三人衆の横暴に対し、足利一門一色氏にくみして京に入り足利将軍家を助けようとしたらしいのですが、この時点で一派の強さは尋常でなく敢え無く敗走を余儀なくされ、領地に戻り刀を一時捨て土地の経営に専念しますが、江戸期に再び帯刀を許され庄屋の傍ら明治まで武士の身分であったと、生前の父親から聞いたことがあります。
道理で私は争い事が嫌いだけど、正義感だけは強いわけだ!?……???(笑)
その後新九郎(早雲)は、妹(北川殿)の嫁ぎ先の今川家の食客から、今川家の家督相続で甥を助け伊豆の堀越公方を滅ぼし、小田原城主の大森氏を追放して更に覇権を関東一円に広げてゆきます。

しかし時代は変わり、親類筋の今川領は徳川氏に変わり時に頼れた好敵手の甲斐武田氏も滅び、関八州に広げた勢力も秀吉の小田原攻めで遂に滅ぶわけです。
この早雲寺は、石垣山の太閤一夜城が出来るまで秀吉の本営となり、その後火を点けられ灰にされますが、徳川家光の時代に縮小再建され今日に至るそうです。
歴史にイフは有りませんが、ごね得が仮に通用するとすれば徳川家康や足利尊氏そして家祖の北条早雲の様な、例え逆境でも切り抜ける千里眼と表裏一体の覚悟を有する者だけで、ただ迷いの優柔不断に勝ち目など無く最初から小田原評定などせず秀吉の上洛の催促に従ってさえいれば、またどういう展開になっていたかなどと勝手目に見て思うのです。
国主が強ければ鶴の一声でしょうけど、代が続けば続くほど小姑の数も増え中々専横な決断もできなくなり、下手をすれば一族や家来に病死に見せかけ暗殺だって有る時代ですから。もっとも当代の氏政・氏直親子の一所懸命が優柔不断だったりして。私や現代人の優柔不断は愛嬌のもなりますが、武士のそれはやはり致命的でしょうか。
でもどうであれ如何にしても武士の一所懸命は、武士道という生き方の精神性の規範を作りましたし、強弱は有っても、それは日本人なら誰もが有する魂の拠り所の一つのような気がします。


夏の日差しも西に傾きを深めると
辺り森の木々も憂鬱に暗みをおびて
蝉のしぐれ鳴く声が一所懸命を歌い上げ
いにしえの息吹を呼ぶかのように
どこ吹く風か古きご門を叩いては流れ込み
まるであの日あの時を語り掛けているかのようでした

では今回はここまで、
お付き合い有難うございました。

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