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保管No-038

              bakuのブログ 暮らしの中で(0006)
初夏の出で立ち・桂川忘春抄(藤野~梁川)               (ameblo 2015.05.01 掲載)


 
いよいよ新緑の季節へ。
ようやく花粉症を気にせず外出できるようになり気分も上々。
今では頸椎と心臓の疾患も有り夏の活動こそ苦手な齢となりましたが、元々夏が好きで海に出掛け泳いだり城ケ島や観音崎の岩場でシュノーケリングした日々が、すぐそこまで近づいてくるような気分になれるから、この夏の入口が私はたまらなく好きなんです。

やはり薫風という言葉が合いそうです。
遠い昔の記憶を近くに引き寄せる魔法の風に、こころの引き出しの一つ二つが気持ちよく開かれ、彩りの香りに誘われて遂には踊りだす感じと申しましょうか、僕は当時付き合っていた女性と毎年梅雨が明ければすぐ、当たり前のように外房・湘南・三浦の海に出掛けていたのです。
あれは城ケ島だっただろうか、僕はシュノーケリングに夢中でそれでも海面に顔を出す度に彼女に視線を向けては、岩場のビニールシート桟敷で日傘を差し微笑む人の手のひらの中でこころを遊ばせる子供のように、その時その価値の大きさが分らなくとも充実する時の中にありました。
十分に遊び疲れた僕は岩場に上り、彼女の作った昼食を食べ終わりまた海に戻ろうとした時でした。
隣に席を取った家族連れおじさんに、駄目だよ! 奥さんほっといちゃ!! と言われ、あっ! と不意打ちを食らった目で彼女を見るとただ嬉しそうに微笑むあの子がいたから急に愛しさが込み上げてきて、この人を幸せにしなければ、そうだこの人と一緒になれば良いんだと結婚を意識したんです。
それが今の嫁ですと紹介できないのが残念と言うか、先の有るお互いの人生それも運命と聞き分けた先に新たに恋も有ったから、それにどれもこれも自分から別れた恋など一度も無いので縁を切った意識が無く、未だに好きという感情が残ったままなんです。

中には付き合いをしているだけでも辛い恋も有ったけど、僕の恋事情は全てあちらに去られた身の上で、誰一人恨みに思う人も無く今でも気持ちはあの時のままだから、仮にいや絶対あり得ない一緒の先の風景を独りよがりに描けてしまうのでしょう。相手にすれば今更迷惑な話でしょうけれど(笑)

それにどれも長い付き合いだったから、‘’あなた! 相変わらずお目出度いわね‘’ とか冗談や文句の一つも付けながら、今にも笑って現れそうな気がするんです。
こんな風に独りよがりに良い感じは掴めても、またどれも過ぎた日の記憶で現実ではないけれど、過ぎた事を失ったとせず幸せな時間を過ごせたと思考反転すれば、これ即ち安息自足(造語=心の平安は気の持ち方次第、自ずから導かれる)の境地とも言える気がするのです。
そして次なる恋の予感も…でも、ちょっと歳だから少し無理かも。でもいいじゃん、こんな感じで生きられたら。

帰結を言えば私の求める気儘道の道標が、この思考反転を自然体にする事だと気付くことが出来ました。
何事にも捉われない事からの出発ですが、あれやこれやと慌て者の小生、実際何時体得できる日が来るのか分りませんけど……。虚仮の一念岩も通すでただ只管で参る所存です(笑)

そうだ!御宿・勝浦は電車で、観音崎や城ケ島は車で行っていたな!!
矢沢永吉の ‘’時間よ止まれ‘’ と ‘’東京‘’ を車の中でかけたのでリアルに情景が甦ります。
あの日あの時も今頃の季節から、来る夏を楽しみにしていました。
真実を交わした言葉や気持ちは言霊を得て、異次元の人のこころの中に生き続け、何かの折に人はそれを目の当たりにするのでしょうか……





 
で話は変わり、この薫風という言葉を調べると塩山・恵林寺の快川(かいせん)禅師の辞世で有名な‘’安禅必ずしも山水を用いず、心頭滅却すれば火もまた涼し‘’(原典は杜旬鶴だそうです)の思考反転に通ずるという事を知りました。
つまりその書には、唐の皇帝が民衆は熱風の夏は嫌いだとするけど私は日の長い夏が好きだと言ったのを、家臣が南より来る心地よき薫風に御座いますと答えた事を禅の碧巌録に照らし合わせ、また一休さんが薫風を含む漢詩書を書いた意味合いをも含め感じ方考え方で同じ風も熱風が薫風になると解釈し、前述の快川禅師の辞世に通ずると言う導きが記されておりました。
いやぁー、語源とは深いものですね。
       この要点引用の全文はこちらです。抜粋解釈の不充分はご容赦を。

        http://www.st.rim.or.jp/~success/kunpuu_ye.html
でもね、私は意味の深さより感性や響きで言葉を使いたいから、また勉強してもすぐ忘れてしまうので、(笑)それはそれと大事としながらこれからも自分の感性で造語も使い、言葉の表現を続けさせていただこうと思います。

 
さてここからは、ご当地の初夏の風景をご紹介します。これは藤野の日連橋(ひづればし)からの眺めです。

桂川もこの辺りから下流の相模湖に堰き止められて、見た目にも流れは無く水が滞留する湖ですが、敢えて流れを感じれば悠久の大河にも見えてきます。

 
JR東日本中央本線・高尾から甲府方面に5つ目の梁川(やながわ)で、左写真は特急かいじ新宿行き(通過)、右写真が普通甲府行です。

県内移動は車ですが、私のブログは ‘’ちょっとだけよ’‘ でも電車が登場します。

 
駅から直ぐの梁川大橋から桂川です。景色の中に吸い込まれそうです。

 
四方津(しおつ)梁川間の深い谷間を流れる桂川と山々。

 
 景色はいかがでしたでしょうか……。


では、今回はここまで、

お付き合い有難うございました。


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