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保管No-040

              bakuのブログ 暮らしの中で(0008)
腹ごなし・恵林寺ぶらり散歩                       (ameblo 2015.05.29 掲載)

  

久しぶりに醤油ラーメンと炒飯セット食べました。

会社時代、山梨と長野(中信・南信)を営業担当エリアとしていましたので、ここのラーメンはよく食べました。スープは塩加減の利いたあっさり系がストレート麺に合い、チャーシュー入り炒飯との相性がいいんです。

みそラーメンはモヤシなど炒め野菜の盛り合わせですが、こちらも味は濃い目で私の口にはとても合います。

勿論仕事でお世話になった土地々々の人の顔も思い出して懐かしくなりますが、それはそれ花より団子、何だかあの時食べた美味しい味が次々と浮かんできてしまいます。

南信・駒ケ根の蕎麦屋のソースかつ丼セット。中信・安曇野インターチェンジ近くの海鮮レストランのあら汁。南甲府インターを精進湖方面に向かった先にある十割蕎麦屋の更級蕎麦と天ぷらセット。

まだまだ有りますけど、その内車で懐かしの味食べ歩きでもしようかな()

 
さて、車を総門?(左写真)前に止めて門を潜り進みます。一般道路が横切る先の朱塗りの門の先には……

 
 

手入れされた庭の中、参道が三門に続いています。

この頃は躑躅が丁度咲始めで、松の木は盆栽をそのまま大きくしたような見事な枝ぶりでした。

 

恵林寺の三門です。

快川(かいせん)禅師が織田勢の焼き討ちを受ける際、「安禅必ずしも山水を用いず 心頭滅却すれば火も亦涼し」と大喝し入寂したとされる漢詩が左右対に分けて掲げられておりました。

絶体的権力にも従えないとする信念の気迫は、秀吉の権力誇示の前の千利休にも感じますが、それにしても生身の人間の火炙りは酷過ぎます。

対し禅師等は、平穏だから禅が行えるのではなく禅に集中すれば熱さも如何ほどのものかとした訳ですね。

私などは比喩に使われる程度の理解として、うだる猛暑の中で好きな野球に打ち込んだ若き日の快感としてしか受け入れられませんが……

ですから、この精神力はやはり凄いと言うよりほかに有りません。

死を厭わない正義を処する果断さと、同時に人の心を慈しむ優しさを持ち合わせた時、人間は人間を卒業できるものか。

また人間転ぶ先の喜怒哀楽、そして善と悪全ての表れを我が事としたうえで、内心外心を制すれば人としての品格が備わるものか。

この時代人は日々命がけだから、そう思うと覚悟の有る生の有り方に高潔な潔さを、また反対に自らの戒めを感じさせられただ手を併せる気持が強くなります。

小生三徳(智・仁・勇)の持ち合わせに乏しくともその風向きを感じ、併せて気儘道の調和に助けを求めれば、我が人生も少なからず意味あるものと希望するのですが、中々どうしてどうして容易くも無く……



コロンブスの卵がこれ以前に有りそうな歌になりました。

「今君は何か思っている。その思いついたところから書き出すとよい」司馬遼太郎さんの作品の序文の中に紹介されていたヘンリー・ミラーの言葉を思い出しています。

小生の詠み歌は「旅と電車と私0013」の冒頭に記載した通り、自称文筆家の一芸の励みとして銘打ったもので俳人・歌人としての意識は無く、むしろ俳句や短歌を学びつつ自分らしさをお求める過程にあります。したがって旅先或は日常の中で始めた気儘道の気分でこの表現が一番いいと(掲載後の修正なども含め)考えて言葉を選んでいるのですが、未熟は自身承知するところ見苦しい点はご容赦ください。また主張の強いブログですが、何時もご訪問いただき有難うございます。深く感謝いたします。

  
三門を潜ると左手に三重塔、正面が本堂です。

  

本堂の左から信玄公の墓地のある武田不動尊へ。

話は変わりますが、新田次郎著「武田勝頼」で設楽が原の敗戦が有ったものの、間諜による情報力と屈強であるはずの武田軍団が織田軍の謀略に為す術もなく、氏言う所の人間雪崩現象を起こしてあっけなく瓦解する物語最終章に私も同情を禁じ得ません。(言えば切も無く誰それが悪いと言うより、歯車にくるいが生じ悪い状況が重なれば、予想しえない事も起こるものと私は受け止めました)

もし真田昌幸の進言通り上州吾妻城に逃れていれば、武田氏滅亡三ヶ月後に本能寺の変が起こるので…それは無かったかも知れません。

上杉景勝も武田氏に援軍の申し入れをしていたし、関東の北条氏も虚虚実実の中で明日は我が身としていたから。

私は残念ながらその先のイフを想像出来ませんが、明智光秀に謀反のタイミングが無ければと思うだけで、逆に歴史は色々な要素が重なり合って作られていると改めて考えさせられるのです。

そう思うと幕末の勤皇志士や佐幕派も時代に生かされ自分の役割を十分に生きたし、明治維新を成し遂げられた事実の結果的必然は、多くの偶然の重なりの中で時代を動かす歴史大河ドラマとして気持ちを昂らされます。

このような大変革・激動の時代にそう簡単に生まれ合わせる事も無いでしょうけど、私の人生において日本新党誕生・民主党政権と変革の小さな潮目を数回見たような気がします。

そして今回の大阪都構想住民投票は僅差で敗北しましたけど、時代の流れがもう一歩のところまで、維新とまでは言わずとも中興(真の改革)を引き寄せる勢いとして私は感じました。

橋下氏の主張は二重三重行政だけを問題にしているのではなく、天下りの温床・独法等の仕事民間丸投げ問題(廃止又は民営化など、確か阿部一次政権でも取り沙汰されていたと記憶があります)の解決が、消費税アップに欠かせない絶対条件で有ることを、むしろ社会が望まなければならないと言っているように思えます。もたれ合いの政治家・役人天国だけは勘弁して欲しいものです。大半の民間は苦しいと聞きますしね。

また橋下氏が政界引退をすることは大変惜しい気持ちになりますが、氏の正義感と合理主義を次の世代に是非育ててほしいと希望します。

但し生活弱者対策は社会正義としてお願いします。

何だか腹ごなしの散歩の書き出しが何時もの様に取り留めもなく、最後は考え方の押し売りみたいになってしまい恐縮しております。申し訳ありません。

  
資料館となりの鐘楼台と奥が庫裡です。

 
境内をもう少し歩いて……

  

恵林寺の最寄り駅のJR東日本中本線塩山駅です。
徒歩だとかなり歩きます。

では今回はここまで、
お付き合い有難うございました。


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