⇒ 保管No-051 bakuのブログ 旅と電車と私(0015) 金沢から高岡へ。(時を少し戻り、2015.10.07の旅先にて) (ameblo 2015.11.19 掲載) IRいしかわ・あいの風とやま鉄道(旧北陸本線)直通泊行に揺られて約40分、高岡駅に着きました。 521系結構カッコいいな…… 万葉線・高岡電停に入線する、可愛らしい猫のラッピング電車に乗り込みます。 15分間隔運転なので特に不便も感じません。 終点の越ノ潟まで行く時間を割くことが出来ず、予定通り救急医療センター前で下車して高岡城址に向かいます。 どんなところだろう…… 救急センターから昼前の静かな住宅街を抜けると、眼前に広がる景色は川ではなくお城の水堀でした。 堀に架かる橋に繋がれ暇を持て余す観光用の小舟の幟が、堀を通る風に柔らかに揺れていて、その無聊を慰められているかのようでした。 そして風が堀を渡りゆけば、水面は微かな波を立てて応え、木々たちも歌を詠むかのように声を発し、それは人気のない長閑な時間を楽しむかのような、まるで八百万のものたちの時間の広がりのようでした。 詩 堀に架かる橋に 小舟が繋がれ暇を持て余していた 小高い森から秋の風が吹き下し 船の幟を揺らしてその無聊を慰めている 風よ、君の旅はどんなだろう 無口な君の機嫌はそれとなく分かる 何時だって空の雲と連れ立って 時には僕の旅と一緒になるからさ 風よ、水と木は五行に例えがあるけど君にはない 物でない風や事象の為す業は 物でない人の心に大きく関わり 時に優しく時に厳しく傍らで存在を現す 万物の構成 それ有っての事も気との並立 人気のない昼前時の穏やかさ 風は僕の目に、八百万のものたちの時の広がりを見せてくれた 小高い丘の上が本丸跡になり、お堀の橋を渡り丘の上に足を進めます。 江戸幕府の一国一城令により廃城となった現在の高岡城本丸公園は、銅鋳物の町らしくあちらこちらに銅像が置かれていて、市民の憩いの場という雰囲気でした。 所々に散歩・ジョギング・ベンチで本を読む人など、さわやかな秋の空の下で気持良さそうです。 射水神社が隣接していたので、鳥居はくぐらず遠目に2礼2拍手1礼を心の中でしました。 僕はどういうわけか、神社仏閣での祈念するのが苦手で、一人の時は形を省略しつつ失礼を詫びながら拝観だけさせていただいております。 そういえば家の仏壇に向かっても、毎日声を発せずお唱えしております。 我が家は祖母の祈願で改宗しており、どちらをお唱えすれば良いのか未だに迷うので、祖母以降縁深きお題目を心で唱え、過去帳のご先祖様月命日の戒名には、手をすり合わせるだけでお参りします。 これで、本当にいいんだろうか… でも、出来ないのだからしょうがない(笑) もっとも般若心経の心得がありませぬ(汗) 神社の参道を高岡駅の方向に丘を下ります。 高岡の大仏様です。 銅造大仏としは歴史が浅く(1933=開眼供養)、奈良・鎌倉に次ぐ三大仏として世間に認められてはいないものの、高名な方から鎌倉より美男におわすと褒められたこともあるそうです。 万葉線を撮りたくて、高岡城からの帰りは歩きにしました。 道路幅のため、電停の中間地点ですれちがう仕組みなのかな!? 赤ペイントの電車が曲がる方向に高岡駅があります。 そして、四つ角の左側手前には…… 何だろう! 興味本位に近寄ると、童謡・夕日の作曲家・室崎琴月のモニュメントがありました。 先生にはお初のお目見えですが、歌はちゃんと覚えていますよ(笑) 高岡駅間の万葉線・越ノ潟行きです。 僕は路面電車(都電、荻窪~新宿間)を幼心に覚えておりまが、いいですね低床型の路面電車は…… 最近東京都でもこのLRTが、新たな交通網として見直されているそうです。 どうせなら、道路の真ん中を走るより道路と並走のグリーンベルトの中を走らせ、電停付近にクリニックやコンビニ、それに高齢者・障害者用住宅を含めた公共施設を、道路を渡らずに結べばバリアフリーの街づくりに最適ですね。 スペース的に大東京では無理だから、かつて東急不動産が田園都市を成功させたたように、都下や東京近郊に新都市の想像する場所を求めるのも良いかもしれません。 手前みそになりますが、自作小説のサーブテーマに東日本大震災復興案があり、津波被害の恐れの無い場所で道路と並走するグリーンベルトの中を、低床型路面電車が走る、ユニバーサルデザインのバリアフリーコミュニティー構想を語らせてもらっています。 では、今回はここまで。 お付き合い有難うございました。 ページトップへ ⇒ |