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保管No-059

              bakuのブログ 旅の道草(0024)
2015.11月の旅から・・・京都(2)哲学の道から金閣寺へ       (ameblo 2016.021.05 掲載)
(掲載日:2016.02.05)


南禅寺からほど近い永観堂は、拝観料が飛び抜けて高いので今回パスしました。
旅先の限りある時間を考えると、僕の場合はこういうチョイスは有りがちで、日頃の貧乏性は旅先でも一向に抜けません(笑)

   

哲学の道の南禅寺側の入り口に差し掛かり……
この日の予定は銀閣寺、そして大原まで行くつもりでしたので、ちょうど休憩に好い道端の腰かけ石を見つけ座っておりますと、この日行き交う人も殆ど無いこの道を、一人の旅の人が僕の前を通りかかりざま路傍の桜木に向かい、
「あぁー… 何だ、すっかり葉が落ちてしまっている」と旅の人は、独り言かまた問いかけなのか定かでありませんでしたが、そう嘆息交じりに呟いたのです。
葉を落とし裸になった桜の木も “旅の人がそんなに惜しんでくれるのなら” と、その惜しみをまた惜しんでいるかのようでありました。
旅の人は人生色々の歳と見受けられましたので、道端の石に座り休息をとる僕は慰めのつもりで、
「ほかに気が長いのも、ちらほら居るみたいですよ」と、答えてみたのです。
しかし旅の人はそれ以上の言葉を発せず、一顧と浅い笑みを残し立ち去りました。
僕も軽く会釈で見送りましたけど、この旅の人、桜並木の紅葉の時期に何か思い出でもあったのかな……
それとも、見た目ぶっきらぼうの僕に “物言うのも儚し” と閉口したのでありましょうか。
いずれにしても…この年の初冬は暖かったのに、桜の落葉は早やすぎたみたいです……。



そしてこの旅の人の姿は、“人生泣き笑いあり、ただ留まることなし” として、僕の目に映るのでした。

   
道を進めばこの時期疎水の山側は、楓の紅葉が盛りでした。

   
丹精を込めて育てられた菊花。そして、男子の僕でさえ良いなと思う土産物店も有りました。

   
猫カフェなのでしょうか、店も休みならネコちゃんもちょこんとお休み中であります。道端にも数匹たむろしておりました。

そうそう、我が家の話になりますが……
猫って人より家に興味を持つみたいで、隣家の2代目の猫殿も最近初代殿と同じように、人の隙を見ては僕の家に上がり込むようになったのです。
初代殿は夏場網戸を器用に開けて上がり込み、僕と一定の距離を取り平然と寛ぐくせに、近づこうものなら隙間に隠れ込むか一目散に外に逃げてしまう、家主にも勝る天下の気儘ものでありました(笑)
先日たまたま洗車のため日中玄関を開け放して、その後戸締りをして外出し、用事を済ませ帰宅し玄関を開け切らぬ瞬時の出来事でした。
表現としては、両手を上げてアワ、アワ、ワー でしょうかねー ……
家の中から目にも止まらぬ速さで、僕の足元を物体がすり抜けたのです。
その物体は一定の距離を作ると、ぴたっとお座りをしてこちらを見つめるのです。これが2代目殿の不法侵入の手口だったのです。…たくー(笑)
で、まだ続きがありまして……
(おい、2代目! お主もか!! ビックリするじゃないか、なめんなよ……)と、若干強気に猫殿を念でたしなめてから再び玄関を開けると、家の中には何と! 物体がもう一つ、瞳パッチリ外に出る隙を狙っているではありませんか。
ははー …(無断で人の家に上がり込み、デートなんかしんじゃねーよ)と、念で叱ったのですがニャンとも言わず、この子は後ずさりでどこぞの隙間に隠れ込む始末。
仕方なし……。こちらが一定の距離を取り逃げ道を確保すると、あのパッチリ目でチラリとこちらの様子を見てから、実に堂々と外に出ていくではありませんか。
その上2匹は揃って僕に一定の距離を取ると、お目々パッチリで “何かありましたか” みたいに、しばらくお座りをするではありませんか。
“本当! 君等には疲れるわ!!” 流石の僕も彼らには付き合い切れないと思い、当方が玄関を締めてサヨナラをしました。
やはり、なめられてんのかな……(笑)
(2時間ほどの外出でしたが、幸い家の中が荒らされた様子は有りませんでした)


   
そうこうするうちに銀閣(慈照寺)の入り口に着きました。急に人通りが多くなり、参道は更に人で賑わっておりました。

   
銀閣は室町幕府8代将軍足利義政の隠居所東山山荘として成り立ち、建築遺構としてはこの他に東求堂が残るのみだそうで、銀色でない銀閣は当時から銀箔が貼られた痕跡は無いそうです。
理由は幾通りかあるようですが、財テク女房殿(日野富子)を当てにした資金援助を得られなかったが、いいような気がします。
ここで意見を少々。
だって、

室町幕府の政権運営は三管(管領=斯波氏・細川氏・畠山氏)四職(侍所所司=一色氏・京極氏・山名氏・赤松氏)を中心に据えた諸大名の統制(相続権の調停・所領安堵権など)であるのに、土一揆や足利一門を含めた大名の調停に嫌気が差したものか、或いは父親(6代将軍義教=嘉吉の乱)の憂き目を自身に見たくないとしたものか、早々隠居を考え実弟(義視)を還俗させ将軍位を譲るを約束したのは文化人義政としてまだ良いとしても、その後実子が出来ると約束を反故にするかのように将軍位を譲らず、かつ日和見政治をした挙句に応仁の乱を招くなど、結果責任の重さから言えばそのくらいの誤算は軽すぎですね。
着工の翌年には移り住み、完成を待たず没するというのだから、それも何だか義政さんらしくもありますね。

   
正直僕も生臭いことより、詫び寂びや雅も含めて花鳥風月がいいかな……(笑)

   
お茶の井の湧水と、山荘散策路高台からの眺めです。


では、今回はここまで。
お付き合い有難う御座いました。



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