⇒ 保管No-65 bakuのブログ 暮らしの中で(0016) 諏訪・杖突峠 (ameblo 2016.05.05 掲載) (掲載日:2016.05.03) 棚も作っていないのに、今年もそれなりに咲いてくれました。 諏訪・杖突峠 JR中央本線・富士見駅です。 ちょうど昼時だったので、駅構内の蕎麦やで天ぷらそば食べました。天ぷらの具材は、甘辛煮込みの牛蒡を5cm位にカットしたものを4本並べて揚げたもので、衣の触感にサクサク感が有り美味しかったです。 立食式を口にしたのは中2の頃だったかな。 最近は、市販の白出汁と麺つゆ、砂糖を自分好みに合わせて、そば・うどんを自作して食べています。 何だか昔が懐かしくなりました。 中野区旧上町・世田谷区砧・上町=世田谷1丁目、青春時代の多摩。例えば中野なら、新井薬師、哲学堂とか、住んでいたそばなら鍋横・宝仙寺辺りへ行ってみたくなりました。 それはそれとして…… 青空が近いと言いますか、やはり高原の駅という感じです。 原村・富士見町の高原地帯は、国道20号線から見ると段丘上になり、八ヶ岳山麓を小淵沢にかけて広がっています。 それと…… 松本から県道67号線(現在通行止め箇所あり)を進み、扉峠からビーナスラインに入って霧ヶ峰・車山高原・白樺湖を通り、原村・富士見に抜けるルートはかなりいいです。会社時代たまに松本の仕事を早めに切り上げて、このルートをわざわざ使い仕事先の移動をしたことがありました。さぼりではなく、あくまでも営業職に大切な…息抜きですよ…… 諏訪大社上社本宮にお邪魔しました。大鳥居と御柱です。 御柱祭の年ですが、この日はず静かな佇まいでした。 お参りを済ませて、これから杖突峠に向かいます。 本当は下社秋宮に寄って岡谷から辰野・伊那を経由して高遠に行く予定でしたが、杖突峠の眺めは明るいうちに見たいとしてルートを変更しました。峠の手前でもこんな眺めが……。三つの並びは、左から蓼科山・北横岳・縞枯山でしょうか。 杖突街道は古代東山道の駅路(国府を結ぶ街道)の一部だったとか。近世からは中山道が主流でしょうけど、律令制の時代に定められた歴史の有る道なのですね。 木曽から飯田を通り伊那へ、そして高遠からこの杖突峠を経て下諏訪を通っていたのかな。杖突峠の無料見晴台です。写真中央の開けたところに、見晴台へのアプローチがあります。 峠の茶屋さん、この日は食事もせず自販機の飲み物だけで、見晴台を利用させて頂き恐縮です。利用時間は5~10分くらいでした。見晴台から1枚目、右側・茅野から富士見、遠く八ヶ岳方を望みます。 2枚目は上原城址などの丘陵地と、遠くは霧ヶ峰・車山高原でしょうか。 3枚目は諏訪のまちと諏訪湖東岸を眺望します。写真より、左遠くに微かに北アルプスも望めます。 3枚の写真を合成すると、見晴台から肉眼で見た眺めにほぼ近くなります。 この位置から眺めると建物も米粒ほどですから、人も車も、有るはずのものが見えないって、当たり前ですけど不思議な気分です。 あそこにガメラがとか…じゃなくて……、 そうですね、青い空と白い雲、山は色を変え始め、人の生活する町も、それらが突然……、時間よ、止まれ。 車で街道を伊那から諏訪に抜ける途中、初めて杖突峠の見晴台でこの眺望を目にした時、思わず息をのむほど驚かされたものでした。 諏訪湖東岸のアップです。 帰り道、八ヶ岳パーキングに寄りました。清里牛乳と手作りパンを買いおやつにしました。 昔の話ですが、仕事帰りに諏訪湖SAかここに良く寄りました。 冬場、時間的には午後5時過ぎでしょうか。中央道を東に車を走らせると、北に八ヶ岳、南は甲斐駒・南アルプスの雪渓が西日を受けて、色づきが強調された絵画のようでとても綺麗なんです。となればここで休憩する他ないとなるのです。 その頃、八ヶ岳PAに人によく懐いた雀がいて、テラス席でおやつしていると、PA特製手作りパンのこぼれカスを、僕の足元で、時にはテーブルにまで寄ってきて啄む可愛い食いしん坊がいました。 そんな記憶が有ったので、この日も寄ってみたのですが、学習を受け継いだ雀くんの気配はありませんでしたパーキングから見た、八ヶ岳と甲斐駒ケ岳です。 それと、今を盛りに…咲く花たちを撮ってみました……
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