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保管No-079

              bakuのブログ ある日の風景(005)
門司港レトロ                           (ameblo 2016.5.09.30 掲載)
2016.09.30掲載

2016.07.26九州旅行より


   
門司港駅は初めてですけど、特に駅は人の行き交う場所だから、しかもレトロ調となれば必ずと言っていいほど懐かしい気持ちが込み上げてくるのです。
それは僕にとって何の不思議でもなくこの時は祖母の居た当時が同期したようで、そりゃぁーもう格別に懐かしく、きっと暇を作って僕に会いに来てくれたのだろうと、姿は見ずとも穏やかな収まりのよい空気を感じていたのです。

   
(中野の自宅で)
祖母は和裁が得意な優しい人で、僕は父に叱られそうになると祖母の背中に回り込めば必ず助けてもらえました
父は昔の人で祖母には逆らわないから、祖母は幼い僕にとって、神様以上の存在だったかも知れません。如何せん、親父は怒ると怖い人だったから。


   (石神井の叔母の家で)
そんな祖母が他界したとき火葬場に行くのを僕は拒み、両親を困らせた記憶があります。
どんなに宥められようと祖母の死を認め焼かれると言う事が納得できず、本当に焼場には行かずお骨になって帰ってきた祖母をただ呆然と迎えました。後で父に説教され、幼心にも大切な人の最期を見送らない不義理が理解できたものか、ただただ泣き腫らした事を覚えています。

それ以来かな、特に母から、あんたは言い出したら人の言う事を絶対に聞かないから、何をするにしても先ず人の話をよく聞いてからにしなさいと、事あるごとに窘められ成長したのです。

    
でも、こんな風になり…(笑)、独りよがりの詠み歌を始めたもんだから、
あちらに居る母が、
「あれ、またあの子、へんてこりんな事初めましたよ。お父さん何とか言ってください」、と言い
「まあ、母さん。今回は人様にご迷惑をかけるわけでもなさそうだから」と父が返すと、
「なら、いいんですが」と母は少し不安げに、
それでも両親揃って今回は笑って見過ごしてくれているようです。そして祖母なら、最初から無条件で見守ってくれているような気がします。
生来の気質はそう簡単に直りませんけど、一応努力もし10に8は人の意見を意識的に聴くようにして、自由気儘系な私は社会性を何となく担保維持しているようであります!?(笑)

私の悪い癖でつい笑にしてしまいますが、実はこの社会性の形成は重要で、うっかり世渡りの方便くらいに用いていると、いざという時メッキが剥がれ生来の気質に存在する負の部分に敗けて、何故あの人がとうような最悪の事態にもなり兼ねません。
しかし、常に心の内でそうあるべきと築き上げた社会性を意識していれば、二面性として存在する気質の負の部分を封じ込めることもでき、いざという時人としての立ち位置を違えるよう事もないのだろうと考えたりもするのです。


   
学びの場は家庭であり学校であり、長ずれば社会や会社であり、時に思い出の中に教訓を見つけては、“生来の” と言うより社会性という “人となり” が形成されているのかも知れません。



しかしそんな思いも、ほんの短時間の中を駆け抜けていきます。
あぁー無常なり。
しかし、思い出は僕という存在に永遠を約束してくれます。

あの場所で感じた雰囲気さえ、もう既に懐かしさに変わってしまっても、新たな記憶を紡いだ思い出(経験)は深淵を覗くが如く、いずれまた新たの諭してくれることでしょう。


   
右の写真は、どなたかのブログで見たことがあります。その連絡船の旧通路を記念に撮りました。

   
駅を後にして、門司港レトロを見て回ろうと、これはという建物に向かいます。
旧大阪商船門司支店のビルでした。1階が外国航路の待合室だったそうです。
大連とか欧州か、船旅なんて憧れてしまいます。
観光船以外で船に乗ったと言えるのは、若いとき友人と東海汽船の神津島行夜行便に乗っただけかな。

   
ハネ橋を渡り、門司港レトロハイマート31階の展望室に向かいます。


では、今回はここまで。
お付き合い有難う御座いました。


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