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           bakuのブログ 旅の道草(0036)
指宿・長崎鼻へ                        (ameblo 2016.10.14 掲載)
(掲載日:2016.10.14)

国道226号線・頴娃街道を南下して、指宿・長崎鼻へ

   
ホテル9階エレベーターホールからの早朝の桜島です。バルコニーに出てみました。

   

10月を目前に朝曇り。この日の暑さを予告しておりました。 MBCラジオでは、もし桜島が噴火した場合の降灰地域の情報も放送しておりまして、初めてそれを聞いた時 “えっ本当、桜島が噴火するの?” と勘違いしてしました。

   
鹿児島市内から頴娃街道を南下して、前之浜から薩摩今和泉にかけて、左に錦江湾、右にJR指宿枕崎線と並行するようになると、十月を目前にして、依然夏を思わせるような強い日差しと強い輪郭の雲が、今も印象に残る程何か語りかけるかのようでもありました。

   
生見駅に立ち寄りホームを隅から隅まで歩きますと、一軒の廃屋が目に留まりました。途中の海岸通り沿いにも廃屋らしきものを数件見かけました。
人口・経済右肩上がりの時代に青春があった小生が、人口減少・経済低迷の時代を老いの目で見せられる寂しさ……。
それでも色褪せたもの悲しさの中に、ふとあの時代の輝きを容易に想像出来る自分も居るのです。
確かに手軽に使えるパソコンや携帯も無かったけど、より多くの人々に今日より明日という希望に満ち満ちていた感慨が眼裏に残っていて、艶をなくしてさ迷う風に儚さを感じてもなお、燦々とひかりの降り注ぐ廃屋の庭を見ていると、ふとあの日の情熱がなまめかしく滾る不思議が確かにありました。




社会がどうあるべきとか幸の感じ方は人それぞれなのでしょう。
けど、先行きに不安の多い将来だからこそ、また失われた〇〇年などを繰り返さないためにも、成長期に築いたストックが底をつくまでに格差縮小・中間層の生まれやすいより多くの人々が安心安全に暮らせる社会の仕組みを考えるべきだろうと、普段呑気にしていても (“だろう話しのジジ放談” で言い続けている)小生の場合はここを時代の嘆き処としております。

まだハッキリとしませんが、小池新都知事の橋下氏以上に化ける気配に期待をしております。どうか、クリーンで無駄の無い都民目線の政治に、国政に睨みを効かせる社会保障の充実と中間層の生まれやすい仕組み作りにも取り組んで頂きたいものです。
政治・行政が先ず身を削り、その上の安心安全社会到来のためであるなら、税の高負担を厭わないとする人は結構多いと思うのです……。


   
さて、いつも通りに好きな鉄道を写真に収めます。鹿児島中央行の列車が待ち時間約10分で生見駅に到着です。

   
で、列車を見送って。

   
道の駅いぶすきに寄りますと、天璋院篤姫の幼少期於一と浜崎太平次の銅像のある場所が紹介されていました。この辺りが今和泉島津家の領地だったんですね。

   
先があるので、指宿では駅だけの寄り道でした。

   
頴娃街道を逸れて長崎鼻という景勝地に向かいました。駐車場に隣接する立ち入り禁止エリアに、何故か旧鹿児島市電が……

   
駐車場から徒歩で10分位、浦島太郎伝説の乙姫様を祭る竜宮神社です。

   
その浦島さんです。願い事が書かれたホタテの貝殻がぎっしりで、亀が埋もれそうでした。

   
薩半島最南端の岬の灯台と、西には傘雲を被った開聞岳を望みます。

   
東を望みます。波飛沫、海の色、青い空を埋め尽くす豪快な雲の群れ。素晴らしい眺めです。来てよかった。


   
灯台の下は岩場が広がっていて、遊歩道も整備され磯歩きしている人もちらほらおりました。

   
東から北より眺めると、位置的に対の岬の赤水鼻でしょうか。
ちなみに、末広がりの地形の岬を鼻と呼ぶそうです。長崎鼻灯台の下にも末広がりの磯が続いておりました。

   
では最後にとっておきの1枚を……
西大山駅・池田湖に行った後に立ち寄った瀬平自然公園パーキングから、頴娃街道を枕崎側から開聞岳を望みます。 この観光写真を見て鹿児島旅行を決めたくらい、僕は写真を何枚撮っただろう。(笑)


では、今回はここまで。お付き合い有難う御座いました。


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