⇒ 保管No-081 bakuのブログ ある日の風景(006) 西郷さんと城山(2016.9月鹿児島旅行より) (ameblo 2016.5.10.28 掲載) 2016.109.27掲載 岩崎谷の西郷窟…… 空港から鹿児島市内に入る途中、桜島と錦江湾沿いを走る日豊本線の列車を撮りました。 写真は斜めから撮らせてもらいました。柵の有るところが岩崎谷の西郷窟です。 私なりに西郷さんを偲びます…… 他の征韓論者は別にして西郷さんに征韓論は無く、樺太の全体支配そして北海道・朝鮮半島をも狙うロシアの南下政策を意識した、朝鮮国に開国を求める遺韓論だったと思います。 しかし新政府が維新の際し発した朝鮮国への親書の、天皇上位と取れる文言を取り下げない限り交渉も難しい状況であったようです。 だからこそ、これを自分の仕事と一命を賭す西郷流で有れば、ボタンの掛け違いの無い相互納得の行く条約の締結可能性が有ったと思うのです。 それを戦争になったら一大事として、策謀により西郷全権使節遣韓計画を潰し西郷さんを下野させた政府は、その後一言もなく李氏朝鮮に圧力を掛け(日朝修交条規)条約を結ぶなど、西郷さんは煮え湯を飲まされる思いだったと思います。 それでも、外圧(特にロシア)の危機に直面した時こそ、内政の不正を同時に正す時期と捉えて、他県の乱に呼応せず辛抱し続けたのでした。 しかし、他県の度重なる士族の反乱から鹿児島を不安視した政府が、武器弾薬の県外撤去命令を下した事と、鹿児島出身警察官の少なからぬ人数の帰郷者を西郷さん暗殺計画と取った私学校生徒の暴発で、西南戦争の戦いの火蓋は西郷さんの意思に反して切られてしまいます。 この先の事は……、として詠み歌にさせていただきます。 (1、折句…お・水・為・永・死の句頭が「おみなえし」となります。2、掛詞…おい→自分の老いと西郷さんの負う身。3、掛詞…命→天命と人の心に生き続ける命。) 老いの坂にある自分は、時の経緯を一身に背負った西郷さんがここを最期と決意して下った坂の前におります。 静かに沢の井の水も澄むような季節に、こうして岩崎谷の窟を前にしていると、ことを為す(覚悟を決めて挑む)という事がどういうことなのか、私にも少し理解できたような気がします。 西郷さんは死してなお永遠の命があるように、人の心を捉え生き続けております。 それも西郷さんに下された天命なのかも知れません。身に降りかかること全て天命とした西郷さんらしいですね。 1877明治10年9月24日が命日ですから、西郷さんは多くの人に親しまれるように、おみなえしの花もまた、人知れずあちらこちらでその人を慰めようと咲いていることでしょう。 ・・・・・合掌。 初めて城山展望台に来て、このアングルがNHK大河ドラマ “翔ぶが如く” によくカットインされていた場所だと気が付きました。 手前のビル群は当時の街並みに、CGなのか絵筆で加工されていたのでしょう。 西郷隆盛=西田敏行。大久保利通=鹿賀丈史。島津斉彬=加山雄三。島津久光=高橋英樹。天璋院=富司純子。桐野利秋(中村半次郎)=杉本哲太。調所笑左衛門とお由羅の方がちょっと出てこない。 豪華な俳優陣でした。 2018年の大河ドラマ西郷どんで、翔ぶが如くにも出演していた堤真一さんが今度は西郷隆盛役だとか! また、辞退したとも!! それは別にして、ちょっと先ですが楽しみになりました。 展望台の見晴らしを引いた位置の背後が小山になっており、 そこにハーモニカを吹いている人がおりまして…… その切なき音色が、大河ドラマの中でシルクハット・フロックコート姿の村田新八が最後に引くアコーデオンの音色と重なってしまい、思わず涙が出てきました。 |