⇒ 保管No-92 bakuのブログ 旅の道草(0040) 河津へ (ameblo 2017.04.07 掲載) (掲載日:2017.04.06) 気持ちの良い天気でした。 国道135号線を進むと左側に駐車エリアを発見。眼下にアカオビーチリゾートのプールが見える位置から、来た方向にカメラを向けました。突端の向こう側が錦ヶ浦の入り組んだ断崖だと思います。 この日は2月21日でしたが、晴れて風が強いせいか車外にでると目が痒くなり、花粉防止用オーバーグラス付けていても駄目でした。 JR伊東線宇佐美駅で休憩です。待ち時間約10分で上り電車を撮りました。 伊豆急の車両ですね。結構混んでいました。 伊豆北川駅を良い位置で撮ろうと駐車スペースから徒歩移動しようと思ったら、左ふくらはぎが痛むし、その上幅員の狭い国道に危険を感じるはで、結局この位置から望遠で撮りました。 2012年初夏に友人と下田に行った時撮った、伊豆北川駅を通過する踊り子号です。 ようやく河津駅に着きました。途中渋滞したので疲れました。河津と伊豆の踊子ですって。湯ケ野から下田へ向かったんですね。 突然ですが、ここで「詠み歌と文中三句」とさせて頂きます。 伊豆河津駅前・伊豆の踊子像を前にして…… …春の鳥風を捉えて舞い上がり… 川端康成氏は “仏界入りやすく、魔界入り難し” と言う言葉をよく使われたそうです。これは一休宗純禅師の言葉とされ、善は誰にでも直ぐわかるものだけど、悪を認識するのは中々難しい。 ……ならば悪(欲得)の中に身を呈して且つ悪に捉われなければ、それこそ修行の本文ではないか。そう維摩居士が文殊菩薩の仏道の問いかけに答えたものがジンテーゼ(合)なのかも知れません。 …分水嶺北へ南へ春流… 善がテーゼなら悪がアンチテーゼであり、捉われない妥協をジンテーゼとし生き方の本質を見出して、一休禅師は理性有る?(実際は腑に落ち切れていないのでは…)奔放の中に天命を全うし、川端氏はそれを潔しとせず煩悶として抱えつづけ、最期は自らの命を断つに至ったのでしょうか。 …願わくは鳩は仏と舞うか鷹(鷹化して鳩と為る=春の季語)… これを小生に問われれば、鳩の心を持ち且つ鷹の強さで生き抜くとして、一休さんと同じ方向を望みます。しかし欲得になお馴染まずとする生き方にも敬意を持てますし、伊豆の踊子という不朽の名作もそういう狭間で生まれたものなら、人生おおいに迷い悩むべし…でしょうか。 真理を得る事は待ちかねた春のようで標でもありますが、果たして生きると言う事はどうなのでしょう。標とは見えては隠れる、尚迷いの一里塚なのかも知れません。 ※一部掲載中の小説「箱庭の恋」のPR。 ジンテーゼをテーマに2012年に初回、2014年2回目を製本化したのですがまだ腑に落ちずで、重複のカットや物語に起伏を付けるなどを課題として現在推敲・書き直し中です。まだまだ時間は掛かりそうですが将来的には電子書籍化できればよいと気持ちは前向きです。読めば引き込まれる内容にするつもりで頑張りますので、記憶に留めて頂ければ幸いです。宜しくお願いいたします さて、河津桜の原木が有ると言うのでそちらに向かいます。見事ですね。原木ではなく、樹齢約50年のかじやの桜と紹介されております。 そしてアロエの花ですね。母が鉢植えで育てておりましたが拙宅では花をつけたことがありません。そろそろ軒先に出して日に当ててみようかな。 駅から約1キロくらいですか、こちらが河津桜の原木です。 1955年飯田勝美氏が偶然この木を発見したのが由来で、その後珍しい雑種起源と判明し河津桜と命名され増殖が盛んにおこなわれたのだとか。 河原に向かう途中にニューサマーオレンジが実ってました。お土産で7個800円でした。伊豆に来るたびに買っています。 河津桜の並木道入ります。 余りの人の多さに河原に下りました。河津桜はオオシマザクラとヒカンザクラの自然交配種だそうです。 信州高遠城址の高遠桜も色が濃くてワクワクさせられますが、河津桜の方がさらに濃いようです。 ソメイヨシノの淡さを愛される方には恐縮です。 菜の花と河津桜の饗宴です。南伊豆は春が早いんですね。 伊豆急のガード下まで来ました。河津駅に続く道はご覧の通り大混雑です。 電車の通過音が聞こえてきたのでカメラを準備。下田行きの踊子号を撮りました。 「伊豆の踊子」の冒頭です。 「道がつづら折りになって、いよいよ天城峠に近づいたと思うころ、雨脚が杉の密林を白く染めながら、すさまじい速さでふもとから私を追って来た。私は二十歳、高等学校の制帽をかぶり紺がすりの着物にはかまをはき、学生カバンを肩にかけていた。一人伊豆の旅に出てから四日目のことだった。修善寺温泉に一夜泊まり、湯ケ島温泉に二夜泊まり、そして朴歯(おおば)の高下駄で天城を登って来たのだった。重なり合った山々や原生林や深い渓谷の秋に見とれながらも、私は一つの期待に胸をときめかして道を急いでいるのだった。重なり合った山々や原生林や深い渓谷の秋に見惚れながらも、私は一つの期待に胸をときめかして道を急いでいるのだった。そのうちに大粒の雨が私を打ち始めた。折れ曲った急な坂道を駈け登った。ようやく峠の北口の茶屋に辿(たど)りついてほっとすると同時に、私はその入口で立ちすくんでしまった。余りに期待がみごとに的中したからである。そこで旅芸人の一行が休んでいたのだ。突っ立っている私を見た踊子(薫)が直ぐに自分の座蒲団を外して、裏返しに傍へ置いた」 では、今回はここまで。 お付き合い有難う御座いました。 ページトップへ ⇒ |