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           桑原縛逐『詠み歌集』のページへようこそ   


< 2015.11月の旅・京都(3)出町柳から三千院へ>
以前の来た時は、仲間4人で東尋坊・天橋立を回りなんとなく、永六輔・いずみたくコンビの歌詞とリズムに誘われてここに来たわけですけど、歳を取ったせいか登りの参道が長く感じました。
思い出話しは、その時の旅の途中の事になります……
確か僕の希望で舞鶴の祖母の実家を訪ね、父が慕う大叔父に会ったのです。
大叔父は初対面の僕が会いに来た事を大層喜んでくれて、“さぁー、家に上がれ”と言ってくれたのですが、父の近況など少し話をしてから車に友達を待たせたままの理由を言い辞そうとしたところ、一旦家の中に戻られてから僕の後を追って来て餞別をくれたのです。
その時大叔父から、“マーちゃん(父の愛称らしいです)によろしくな” と言付けをもらったものですから、旅を終え家に戻りその話を父に話しましたら、父は“そうか、叔父貴が喜んでくれたか” と懐かしそうに僕が大叔父を訪ねたことをいたく喜んでくれものでした。
何だかその時の親父の顔と、側で微笑む母の顔が思い出されてしまいます。それから数年後に父が亡くなり、また母は大震災の年に他界しましたので、この記憶にはとても懐さがあります。
もっともその時貧乏会社員だった僕にとって、大叔父さんに貰った1万円の方がすごく嬉しかったけど(笑)
今となっては父との間に確執が有ったのか無かったのか曖昧となりましたが、どうやらこの記憶はきっと親子和解後であった事でありましょう。

葉を落とす度に木々が年輪を刻み、その肌に自然の厳しさや恵みに触れた模様を重ね着していくように、季節が冬であっても人も歳をふれば逞しくかつ受け入れる気持ちが育ち、 “ありがとう” の言葉を生きる事に捧げられる時が来るように思うのです。ひたすら生きてさえいれば良いのだと……
小生の場合もようやく開かれそうな扉の先の景色が、少しだけ見えてきたのかも知れません……。感謝。

< 2015.11月の旅・京都(4)大原から京都駅へ>
大原にはその昔、平清盛の娘で高倉上皇の中宮並びに安徳天皇の母、建礼門院徳子の隠棲所(寂光院)もあり、嵐山が行楽・別荘地とすれば、この地は出家・隠棲の里でもあったそうです。

話しは、鹿ヶ谷会議における院側近の粛正後、急速に後白河法皇と平家との溝が深まり、壇ノ浦・平家滅亡後の事なります……

後白河法皇は寂光院へ御幸したとき、建礼門院から栄枯盛衰の顛末をわが身に見たとする様をお聞きになり、“あなたは三蔵法師が悟りを開く前に見たとされる六道(天道・人間・修羅・畜生・餓鬼・地獄)を見たのですね。それは有り難いことです” と涙を流されたという件があります。

建礼門院が鞆の浦の海中より引き上げられ都に護送される途中、明石の浦で見た竜宮の夢のお告は、母の二位の尼から “竜畜経” で安徳天皇や平家一門の菩提を弔い頼まれるというものでした。
花も無い冬構えの御庵跡には、苔や草が供の花に例えられるものか……。
それは六道地蔵となられた(尼僧様の)御心を今に表すかのように、高倉・安徳両帝の菩提はもとより一門の御霊が休める竜宮に向かい、静かに(竜畜経で)お慰めしているかのような……。どうやら僕は旅時空の垣間見に、何だか不思議な心持に遭遇したようです。


“竜畜経”に付いて……。
平家物語より源平盛衰記に答えを求めた識者の記述があり、須佐能命のヤマタノオロチ退治まで遡る物語性として、また “竜畜経” との辻褄合せとしても興味が持てました。 これは超現実的な話なので、あくまでも “竜畜経” を説明するための物語としてありますが、この部分を短編小説に出来たら面白いなとだけ思い続けております。

< 2015.11月の旅・京都(5)京都駅から御室仁和寺へ>
前日はぐっすり眠れ、この日は目覚ましより早く5時頃に起床したんです。
とても気持ちの良い目覚めでしたから、着替え前でしたけど急に外の景色が見たくなって、ホテルの部屋の緞帳のようなカーテンを引き開けると、外は冷気に冴えた西の山並みは比叡山でしょうか……
そして東には小さな富士(三上山=近江富士?)が、絵具で描かれたような朝ぼらけの町並みに浮かび、幻想的にシルエットを際立たせていたのです。
僕は一目惚れで言葉を失うかのように、この小富士と連なる山系の稜線の美しさに何か掻き立てられるものを感じつつ、ただ眼前に広がる眺めにうっとり見とれてしまうのでした。
暫くすると、朝の静けさの中にホテル特有の空調の音で有ろうか、会社時代の出張先のホテルでも聞いたであろう、同一性のある音に僕は気付きます。もっともこのBGMは僕の五感に既に浸透していて、過去のあれこれを目の前のスクリーンを透かし響かせ、遠い記憶をなぞらせていたのです。
そうだったなぁー ……
あの頃の僕は、良い仕事が出来たと思う日も、またそうでなく苦しい時にあっても、こんなふうに出張先で朝の清々しい景色に出会えた時には、自然に気力が充実する気分を感じたものだった。
今となっては、守るものは自分一人の事だけとなり、気楽さと引き換えに大切な人を守る苦労という充実が懐かしく思えて、ただひた向きだったあの時代が懐かしく切なくもなるのです。
過去は過去、今は今。否定しない人生であっても、感傷とは面白くまた潤いでもありましょうか、僕はこんな気分は嫌いではありません。
そういえば、僕は苦しい時ほど何故か母や恋人に優しくしたくなり、無性にお土産を買いたくなるのを思い出しました。
また要らないもの買って来てと、クシュンとなる事もあったけど(笑)。それもどれも懐かしい思い出です。

この日見た印象風景や感じたことも、やがて何かの折に懐かしい思い出に重なって、新たな心象を描くのならそれはそれで楽しみになります。

< 短編・月毛の松風 2016.11.24上梓より>
あれは御室仁和寺を抜けて竜安寺に向かう途中でした。
店舗或いはご住居で有りましょうか。和風の角格子ケースの中に、壁掛けの絵と月毛の馬の置き物が飾られておりました。
暫く休憩がてら暫く見入っておりますと、僕は子供の頃よく強く印象付けられたものに夢を膨らませ妄想した事を思い出していました。
その時の印象に物語性を付けて、2015年2月17日に掲載した “春よ、来いこい、おや来たか” で紹介した不思議で心地よい朝の目覚めを、結末に併せて創作したのがこの短編小説になります。


 「温く床や 雀目覚まし 春を嗅ぎ 窓辺ゆらすひ 遊び憩わん」

                   その時の詠み歌です。2015.02.17

僕の春の床の目覚めは時に不思議で、過去の事を今あたかも目の前の事とする気分を伴うことがあります。

頻繁に起こる事ではないから、その時を得た気分といったらやたら嬉しくて、やはり大きな力の存在からの頂きものとしか言いようを知りません。

< 2016.3月・田原の滝と富士急行線>

   名瀑・田原の滝と電車

旅って、思いがけず出会う景色に目を見張らせる時が有りますね。
それは自然風景・社寺仏閣だけでなく都会の中にもあります。
僕はそんな旅の出会いを心待ちにして……
この日久しぶりに田原の滝に来て、鉄橋を渡る電車と響き合う滝の轟音を聴きつつ、とっておきのこの眺めの中で次に巡る旅の夢想をしたのです。

   富士急・十日市場駅
駅前に無造作に置かれた2台の自転車が何だか微笑ましくて……。
長閑な駅を舞台にした通勤・通学風景が目に浮かぶようです。
そう言えば、“最期から2番目の恋“ 続編はまだですかね! 楽しみしてますよ!! 関係者に聞こえなければ意味がないか。でもいいや、無意味でも人間叫びたいときもあるもんね。
おっといけない、あれは江ノ電の極楽寺駅でしたね。こちらは富士急十日市場駅。まぁーいいか、麗らかな陽気だし……。 そんな想像をしていたら、自転車の置かれ方の微妙な距離感が余計に愉快に見えてくる。


< 2016.4月・高遠の桜 1 >
無限天水湧き出でて、青き空、並々と湛え、花堤、と申しましょうか……
下から見上げると、ピンクの帯が横に長く広がっています。更に、勘助曲輪(現在駐車場)から本丸を見上げると、その帯は見事な花の堤となり、湧き立つ蒼天を満々と湛えていました。その時大空を一羽の鳥(鷹にしておきましょう)が悠然と舞っておりました。後で思えば右手の五郎山の方角だったような……なのに、肝心な写真を撮り忘れました。と言うのは、臨時観光案内所で高遠の桜を俯瞰する場所を密かに教えてもらった嬉しさで、気持ちがそちらに飛んでしまっていたのです。で、イメージ写真となりました。今思うと残念です……
花の色の濃さは甲斐崩れのおり、織田勢の調略に乗らず徹底抗戦し壮絶な最期で討ち死にした城主、仁科五郎盛信以下忠臣の流した土壌の血潮を吸うからだと後々まで伝えられています。

高遠の、一目千本、花の傘、と言いますか……
吉野山(小生、まだ一度も生で見たことがありません…汗)を思わせる程の壮観です。
西行が平泉を訪れ束稲山の見事な桜に驚かされて、吉野山を偲ばせる歌がありますけど……
一体西行は、奥州藤原氏の繁栄の頃にどんな桜を目にしたのだろうと、この景色に当て嵌めたら大袈裟でしょうか。
遠くに見える雪渓は南アルプス仙丈ケ岳です。やはり、大袈裟とは言い切れない美しさなんです。本当に……
だからこの歌はパロディーとも言い切れず、しかしここは江戸狂歌精神をお借りして、束稲山の歌に重ねさせて頂きました。

< 2016.4月・高遠の桜 2 >


高遠の、老桜果ての、枝垂れ振り……

樹齢を思わせる見事な枝垂れ振りです。首を垂れる稲の実りは謙虚さなら、こちらは生きる事への執着と感謝のような……空はにこやかな晴天ばかりではなく、雷に撃たれ、嵐に枝を捥がれ……幹は二筋に太く天に伸びて、先端はへし折られたように丸坊主。きっと一度は朽ちかけた。

それでも、ヒコバエのような細い枝を伸ばして花を付ける健気さに脱帽です。

 

生きるって、それだけで大変ですけど、生きる達人ここにあり!
小生もそろそろ、枝垂れ振り見て、我が振り繕えと…いたしましょう。


< 諏訪・杖突峠 >

杖突峠見晴台から眺めると、
建物も米粒ほどですから、人も車も、有るはずのものが見えないって、当たり前ですけど不思議な気分です。

あそこにガメラがとか…じゃなくて……、

そうですね、青い空と白い雲、山は色を変え始め、人の生活する町も、それらが突然……、時間よ、止まれ。
いや、止まってしまったっていう感じです。
大して変わりませね。

そして、季節は少しずつ、山も空も町も衣替えしているような……

車で街道を伊那から諏訪に抜ける途中、初めて杖突峠の見晴台でこの眺望を目にした時、思わず息をのむほど驚かされたものでした。

< 宍道湖の夕景 >
夕日……
それは日々の塵芥を落としなさいと、天に奨められる時間でありましょうか。今日一日強面だった人でさえ、もしここへ来たなら緊張も解されて、うっかり笑顔を浮かべてしまいそうなんです。
きっと、明日は良い日になりますよ。ええ、なりますとも。

そして……
宍道湖の空が朱に一筋引かれれば、色香の紅のように何とも艶やかな、それでいて安らけし時の誘いのようであり……。
今宵の僕は君に側に寄り添いを求めて、暮れ行く時の優しさの中で二人のあれこれを語らいたいものだ……。
今の所、それは専ら思い出や夢の中での事だけど……、それでも結構幸せな気分になれるんです。

実際僕の場合、悲しさや苦しさやよりも、楽しかったり嬉しかったりした記憶が常に優先しているからなのかな。
そう、僕の恋物語はもはや僕等ではない、もう一つの終わりのない心模様。
なんちゃって!
で、何となくセンチメンタル…(笑)

< 出雲・松江の旅 塩見縄手を歩く >
松江城には人柱にされた小鶴という娘さんの伝説が有ります。小鶴さんの祟りか堀尾家・京極家と相次いで跡継ぎが無くお家断絶となります。そして明治までご当地を治めるのは結城信康の三男で家康の孫、松平直政の家系となります。
その直正が荒れ果てた天守に登ると白装束の女性が現れて、この城は私のものだと言うので、直政は思わずこの城をつかわすと言ってしまいますが、献上品のコノシロという魚を三宝にのせて捧げると、翌日天守近くの櫓のそばに空の三宝だけが転がっていて、その後怪現象はぴたりと止まったそうです。
語呂合わせの洒落で片が付いたみたいですが、何であれ約束を反故にしない殿様の態度に、或いはコノシロが好物だったものか、小鶴さんの霊も何か納まりを見つけたものでしょうか。
怨霊とはいっても元々は普通の娘さんですから、恨み続ける事の不幸は分かっていて、それを切っ掛けとしてむしろ小鶴さんは救われたのかも知れません。
こうして松江藩松平家は、祟られることもなく明治までお家は続き、お城は維新の民間払い下げの危機に直面しますが、市民有志に助で天守だけが現在に残ったとうのも、何か直政公と小鶴さんの浅からぬ “縁雫(えにしずく)” を感じてなりません。
今回は、川柳に付け句して狂歌風に詠みました。
松江では “縁雫(えにしずく)” と言う言葉が、地元の女子高校生から生まれたそうです。雨の多い松江に因んで作られたとか。小生もこの言葉が好きになりました。怨念を解かれた小鶴さんの魂も、“縁雫” という言葉をきっと気に入っていることでしょう。

< 出雲・松江の旅 由志園へ >

一年中鑑賞できる牡丹の館に足を踏み入れると、百花王と言われるに相応しく見事な大輪を咲かせていました。
思わず息を呑むほどです。

以前の話しですが牡丹が好きな人がいて、一株貰って庭に植えたのですが、その頃僕は三度の飯よりゴルフでしたから、確か母から牡丹が咲いたよと言われて、その時一度見たきりとなりました。
思えば、その人は正面から生に向き合う人であったし、それが寧ろ自分に足りないと感じていたから、羨ましく受け止めながら良い時間を過ごせたような気がします。
僕ももう少し正面から向き合うべきだったかな。
さて、その人とは会う事も無くなってしまったけど、今と過去の牡丹咲くもの問いに目の前がパッと開かれたようで、よかった過去を懐かしみつつ、気持ちが柔らかになるのが嬉しくなります。
これから先もこの日の牡丹の出会いの様に、今生に良き縁を得たものと心を温められ、折りあらば旅を楽しみつつ明日に繋ぐ希望も授けられるといいな……。


< 出雲・松江の旅 米子から足立美術館へ >
米子駅構内。そして改札口を出ると、そこは……。駅前の巨大鉄道モニュメントの衝撃波に撃たれ、昼間の写真でしかも季節も超えて、久しぶりに散文詩と歌のセットにしたためてみました。

銀河鉄道999に見えるけど……

どうやら、銀河鉄道の夜をモチーフにしたものらしい。
なら、米子銀河ステーションに寄り道かな。ジョバンニやカムパネルラ、鳥捕りや遭難船の三人も乗っているかな。
もうすぐ切符が届くよとザネリの声がしそうだね。

僕は異次元世界の切符は要らないよ。
だって、まだまだ夜空の銀河鉄道を眺めて夢を見ていたいからね。
明日の事は分からないけど希望は有るさ。
だから、歩けなくなるまで歩き続けたいんだよ。
いずれ来るその時まで。
蠍は業(ごう)を省みて、イタチに幸を分け与えなかった事を懺悔して赤く輝いた。
なら僕は、蠍の試練に対して果たしてどうだろう……。
星に生い立ちや宿命があるのなら、一体どの輝きに導かれるのだろう……。

< 出雲・松江の旅 一畑電車に乗る、そして出雲大社へ >
詩 京王5000系の想い出(再校)

あれは中学の頃だっただろうか……
明大前から特急に乗ると調布・府中に止まるだけ
圧巻はつつじヶ丘駅を通過するときだった
仙川・つつじヶ丘・柴崎
この区間の下り勾配を特急電車が唸りを上げて疾走する
少年は運転席越しに前方が見渡せる位置に陣取り
勢い景色の飛び込む速さが
その日好き娘につれなくされふさぎがちの気持ちを一転躍動させた
何て不思議なんだろう
もうあの娘の笑顔がそこらの宙を舞っている
明日の君はきっと微笑んでいる 明日よ 早く来い
すると5000系が囁いた
明日は良い日に決まっているさ “気分はどうだい” と
僕は明日が待ち遠しくてしかたない
あの日……少年にとって電車は
いつでもゆりかごであり偉大な存在だった
                                                          平成26年5月25

< 一畑電車・デハニと映画 ”LAILWAYS” >

私も会社員という人生において、身の処し方の決断を迫られる場面は当然ありました。今思えば大袈裟になりますが、その当時私としては不本意の屈辱を呑み込み生活の安定を優先にしました。
後悔はありませんけど、だからでしょうか、来世ではこうしたいなどと望みが強くなるは。
そんな時友人達の存在は支えでしたが、映画を見て感情移入したり、仮想現実を展開して希望的物思いに耽る事も結構好きで、それなりに現実の重圧を避け気分転換していた様な気がします。
そうなれば単純な小生の独壇場、思い悩むことも急に馬鹿馬鹿しくなり、今日と言う日を楽しく生きなくてどうすると突然飛躍する訳です。
そう、現実に添わぬ夢だって仮想を見て楽しめばよしとなり、当時ストレスの多い小生にとって結構大事だったような気がします。
だから今振り返っても、想像を膨らませて夢を見るって良いと思います。
叶う、叶わないなんて関係ないんです。
そして、夢は単に見るだけではなく近づくための努力もしますから。
言霊ではなくても、ひょっとして夢霊になるかも
……



< 角島大橋と山陰本線特牛(こっとい)駅 >
角島(つのしま)まで橋が届くアングルを求めて、右方向に移動すると……
ガードレール越しに草むらが踏みつぶされて撮影スポットの様な場所が有るのですが、歳を取ったせいか危険に用心深くなって躊躇していると、一人の青年がそのガードレールをためらいもなく越えて写真を撮り始めたのです。
私は若者のその行為に、自分にも確かに有った若さの滾りを感じたものか、急に彼の目線の先が見たくなり、思わず “写真上手く取れた” 声を掛けていました。
若者はハイと嬉しそうに答えるものだから、私もつい嬉しくなって “じぁー、僕も” と、その狭いスペースにお邪魔したのです。
若者は嫌な顔もせず私のために場所を空けてくれました。

その絵面を思い浮かべると親子のような光景が想像出来て、それはそれで仮想現実として有っても良いと感慨もあるような。
そして彼を見ていると、自分の若さがつい昨日の事の様に思えて、青春に抱く思いの丈もすぐそこに甦り、きっとこの長く続く橋の先に繋がって見えて来るような気持ちの昂ぶりを感じたのです。
そこには美しい空と海と、橋でつながる島に楽園が有るような、自然と人工の調和の美がありました。
しかし、これを創造したのも人であればこれを争いで壊す可能性を有するのも人であるという事。内面にある光と影、幸福の中で寂しさを感じ、寂しさの中にあっても希望を感じる。私は若い頃から両極を考える癖が付いていて、そう思うと隣国に位置する大国の暴挙が、人の為す闇の業として気掛かりでなりません。
どうかこの先に紛争・戦争と言う不幸が起こらないようにただただ願い、この美しい景色が遠い先に平和の遺産となりますように……。

< 旧大社線・大社駅 >
既に境を越えてと言うべきか、この場所には人の営みが確かに有り、長き役目とその栄枯盛衰物語から切り離されて、時を緩やかに過ごす静かな佇まいがありました。そして、厳粛な空気が漂う中にただ一人で居りますと、軽い眩暈の中で現実がすっと吸い上げられて、懐かしい時代に運ばれていきそうな錯覚を感じてしまうのです。
そうだなぁー …… 。僕が青春の真っ只中に戻ったとしてもまだ足らない、古き時代の息吹を今に伝えていると言うか、昭和で会った人達……
そう、今にも賑やかそうに現れそうな目に見えぬ臨場感が有ります。昔の窓ガラスは外が少し歪んで見えるから、向こうに見える景色に昭和が映っていそうな気分というか、そんな気がするのです。

駅構内の保存レールの側に無造作に生える青草が、尚更懐古的な心象を掻き立てておりました。
駅舎の向かいのホームにD51が……
屋外展示だから写真にしてこうして見ると、千切れ雲が機関車の蒸気のようで、D51が八雲立つとういより深き雲湛えたる出雲の峰々を背にして、今にも走り出しそうなんです。 郷愁を感じるにはこういう天気もよさそうですね……












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 設置 2015.01.30