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           桑原縛逐『詠み歌集』のページへようこそ   


<2018年・新春詠み歌>

…書初めや無謀に始めてもう三年…
 何事も長続きしない小生にとって書初めと言うべき新年詠み歌を、3年も続けられたことは本当に驚きです。無謀に始めた詠み歌に輪をかけて、新たに俳句を取り入れた文中3句・小タイトル風も題材に若干手詰り感があり、今までならこんな理由でとっくに止めているのですが、ことこれに関しては何故か辛抱強いんです
 …年新続けるだけの取柄かな…
  そんなわけでもありませんが、例え年1回のブログ投稿になっても、文中3句&詠み歌はこれからも続けようと決意だけはしております。
 …詠み歌の芸を肥せや年を越し…
 今年で4回目となる新年詠み歌ですが、2015年は縁起言葉。2016年は太田南畝風。2017年は10文字折句。そして本年2018年の趣向は何にしょうかと考えました。えー、結構苦労してるんですよ…(笑)
 そこで、連語・呼びかけなどの「や」を句末で韻を踏み、破調でありながら調子をつくる試みとしました。(※既に永平寺で試しておりますが、この趣向は2018年の新春詠み歌に使おうと決めておりました)

 ついでに季語のいらない短歌にも、山口素堂風に全句季語入りとしてみました。何だか。行き詰まりの断末魔みたいですけど…(笑)。新年のご愛嬌としてお笑いくださいませ。

<短編小説・此岸椿 文中小タイトル挿入三句>
 …逢魔時一陣かわす実南天…
 人通りのない日の暮れかけた逢魔時の怪しさの中に、子供の頃に背中にぞくっと物の怪を感じた事はないだろうか。鬼門の方角に南天を植えるように、私もどうやらそういう不安や怖さを躱す術を、長く生きるうえで身に着けたようだ。
 …朧なる小路照らす灯暮天冴ゆ…
 西本願寺の唐破風の四つ足門は、小路の左右に点いたばかりの朧な街灯に僅かに照らされると、まるで巨大な神輿が鎮座しているようで、彫金の青の濃淡が螺鈿の光彩を放つような美しさを暮天の冴えた空気の中に鈍く湛えていた。
 …風ひとつ匂うが如き花椿…
 椿は鮮やかな色の割に匂いの無い花といわれ、気取りが無く控え目と花言葉にされている。バッサリと落ちる様を忌む人も居るようだが、私はかえってその潔い芯の強さが好きだ。匂うという言い方についても、実際に香るものともう一つに観念的に感じるものがあるなら、観念的な方がむしろその本質を強く感じるものと表現できよう

<bakuの膀胱結石・入院日記>
 …花待ちの巷羨む我が身かな…
 巷は寒さも一段落。桜の便りを待つばかりという季節の膨らみの中で、我が身には別のものが膨んでしまい、忘れた頃にという災難が降りかってしまいました。そうなんです。膀胱結石の除去手術を受けるために、3月のとある日私は入院する羽目に……。

 …願わくは花の他なる猫柳…
 西行のような境地にはまだまだ未熟だし、花言葉が自由の猫柳に倣って、早くこの不自由から解放されたいものです。何せ結石が挟まると激痛が起こるので、夜間も含め半強制的に2時間おきに緩やかに…がモットーでしたから。
 …花も咲く人は死ぬまでまさかかな…
「時と災難は誰にでも臨むが、人間がその時を知らないだけだ」 …旧約聖書?
 人生の三つの坂のまさかにはこの言葉も当て嵌まるけど、まさかと思うような良いことだって起こるのですね。


 …結石や術後花見かお茶の水 先ずはともあれチョロチョロと…(詠み歌
 …久方の情に触れて歳忘れ まさか艶ある入院日記…短歌
「~~四谷赤坂麹町 チャラチャラ流れるお茶の水 粋な姉ちゃん~~」知る人ぞ知る寅さん映画の啖呵買(たんかばい)です。
 担当医の先生から、管が細いので出口を削りました。どうですかと言われたので、華厳の滝とは言えませんがお茶の水くらいと答えました。
 これで花見も、いや団子も楽しめるし、勢いより先ずは痛みと不自由さから解放されたことが嬉しかった。それに思いがけない○○さんと、心温まるまさかの触れ合いもありましたから……。

<叡電二ノ瀬から市原を歩く 河鹿荘と白龍園>
…恋みたい古都と電車と暦買い
 今年も、晩秋の京都を訪れる。古都に、季節に、そして町の息吹を運ぶ電車に乗って、電車のある風景のカレンダーを買う。
 何故かこの時期になると血が騒ぐんです。
これも、立派な恋煩い?……なんてね(笑)
微笑みの向く先匂う紅葉山
 叡電出町柳駅に着きました。沿線の行楽地には、貴船、鞍馬。そして八瀬があります。皆さん、どこまでいかれるのかな。いい顔してます。
…白龍園律の調べかお山ごと…
 庭というのは自然を活かす美の創造であっても、人の手が加わって始めて庭であり、荒れ果ててしまえば魔物の住処の印象になってしまう。そんなことからも、きっと土地の人には感謝されたのでしょう。
 そして、四季折々の美しい景観を創造する白龍園の紅葉には、外から覗くだけでも、ピーンと張った精神の気高さみたいなものを感じました。


  いろはもみじでしょうか。河鹿荘の庭に楓が一本。見事な深紅に染まっていました。電車の車窓から眼下に見ても息をのむようでしたが、これを間近にすると逆に持て余すほど、精神の同化が追い付かない自分に狼狽えるばかりです。
 店先にお休み処と書いてあるけど昼にはまだ早いし、甘味を頂くにしても男一
人でふらっと入るにはやはり敷居が高かった…(笑)。

<五条坂から茶わん坂を通り清水寺へ>
 …古都小春まなこは走り三重の塔 (俳句)
 小春の陽気の中、五条坂を歩きだすとすぐ。朱色の三重塔が姿を現します。眼を奪われてしまう と、自然に茶わん坂に入っていました。ひょっとして私は、この道が好きかも知れない 気になる大谷道は次回にしよう。

 …六年後小春を歩く茶わん坂… (俳句)
 茶わん坂…、清水焼ですか。あれは六年前の暑い盛りでした。国道1号線の歩道にはみ出して陶器市が立っていたのを思い出しました。出来たばかりの第二東名見たさで、車で来た通りすがりの残像が用足らずの心残りになっていました。

 残像や琴線ゆらす古都小春 気配ばかりの洒落とぞ思う
             (bakuの詠み歌・俳句詠み長句に短歌の情感を付け句)
 琴線に触れたものか、あの日の旅が妙に輝いて見える。しかも残像を窺わせるだけとは洒落ている。市を現実にするより想像の中にいる方が、私には合っているのかも知れない。やはりこれも、年のせい?…(笑)
 …三菜と松茸ご飯しるもよし… (俳句)
 ところで、旅の楽しみは食にもありますよね。この日は、司馬遼太郎さんも通ったという老舗、七条烏丸の“いいむら”さんで、昼定食(日替わり)を頂きました。松茸ご飯と一汁三菜で、価格はなんと700円ぽっきり。あれもこれも食べたいけれど、食が細くなり食べきれない私には、懐にも優しい十分すぎる感動でした。

 辰巳かど火除けに龍の鬼瓦 魔もの睨むか清水の塔  (短歌)
 清水寺の七不思議の一つ。三重塔の四隅の鬼瓦ですが、東南角だけ龍が配されているのは、都の火除けのためだそうです。そういえば、以前行った猿沢の池にも七不思議がありました。観光名所のトリビア拾い、面白いかもしれませんね。

<2019 新春詠み歌 六韻連歌風 変則三首仕立て>

初雀 耳に清けし 目覚め哉  発句(主客が詠み、かな等の言い切りにします

目には親しき 富士と白雲   脇句(亭主が詠み、最後は体言止めにします)

 私は我儘だから、お一人様を通すのに疑問の無い、一つ二つの趣味を与えられていると思うことがあります。新年を迎えた朝。雀の囀りは、どこか清々しさがある何か変化が有るのかと言えば、それは有るような無いような曖昧さだから面白い。


元旦や 昨日よりはと 今日こえて  行様(流れを決める句。最後はて止め)
明日の占い 吉と出るかも      平句(以降短句長句を続けます)

 気が付けば友も一人、二人減り。老い行く現実に些か迷いも生じます。一度は悟ったような気にもなりましたが、諦めることを覚えただけだったのでしょうか。昨日よりは今日。そして明日に我意を収め全てを受け入れる度量を養えれば、それが悟りに劣らぬ不惑の近道かと考えてみたりします。
5 伊勢海老と 大の馳走の 朝餉なる   平句
6 お一人さまは どこ吹く風か      挙句(最後の句で祝詞あるいは締めの句)

 家伝の煮豚と、好きな伊達巻もある。美味しいものを頂くと謝意も生じます。無いものを嘆くより与えられているものに感謝する。食や旅行を楽しみ、趣味に没頭する。そんなに難しいことでもないような気がしてきました……。

<沖縄の旅・中央線神田経由で羽田へ>
 中央線浅き春嗅ぐ瞼かな あぁー懐かしきプールと釣り堀 
              (bakuの詠み歌・俳句詠み長句に短歌の情感を付け句)
 今年の春も、そこまで来ているような陽気です。子供の頃の想い出を季節に例えるなら浅き春でしょうか。中央線神田経由で東京モノレールを使い羽田に行きました。お茶の水、神田、浜松町で途中下車。特に中央、総武線は私にとって懐かしい存在で、その場所を通過しているだけで子供の頃遊びに行った千駄ヶ谷の屋内温水プールや、市ヶ谷の釣り堀の記憶などが次々によみがえります。

 故郷を問うてみたなら中央線 乗れば揺り籠昨日のようだ  (短歌)
 近い記憶では国分寺に住んでいた友人の事や、毎年新年会をする八王子など、住処を5回も移している私にとって京王線が青春時代であれば、中央線はそれ以降と少年時代の思い出を紡ぐ故郷のような存在なんです。

 …初会や老いの鏡に笑あい… (俳句)
 今年の新年会で友人たちと半年ぶりに会いました。お互いに老けゆく現実を鏡にして笑い合う。そんな会話と友の笑顔が嬉しい一時でした。
吟遊は一人がよろし探梅行(タンバイコウ)…(俳句)
 ところで、鑑賞したり趣味に没頭するのは、一人がいいみたいです。その気分を例えるなら、早咲きの梅でも探しているような気儘さでしょうか。 ところが、日本人は稲作農耕民族だから、コミュニケーションを大切にしないと成り立たない精神構造らしいんです。何かの番組だったけど、単独行動が苦にならない人は、稲作ではなく一人でできる小麦栽培人種だなんて言っていましたね。私の場合は、さてどっちだろう…(笑)

 …女子力を失してはにかむ鬼は外…(俳句)
 そうか。女性は子育てをする必要上、他人とのコミュニケーションを上手にとれるとしたら、なるほどの理屈で繋がりますね。男性は職場を離れてしまえば、孤立しがちといわれるし。老後はその女子力を借りて、どうにか社会とつながっているようなもの。……ですかね!? 女子力、おそるべし! やはり女性には感謝の念を持たなければならないでしょうね。多分私はお一人様を我慢できる派ですが、後悔先に立たず、が若干残ります。まあ、それはそれ「鬼は外」で行きますか…(笑

<沖縄の旅・国際通りを歩く>
 …(マッハ0.8) 一っ飛びコート仕舞えば目には椰子…
 国際通りを牧志から県庁前まで歩きました。日中の気温は20℃くらいでした。歩くには長袖シャツ一枚で丁度でした。最低気温も12℃前後ですから、ー3℃前後になる我が町とは差は明らかで、椰子の木を見れば南国ムードは全開です。
 それにしても空の旅は早い。寒さ逃れ暖かな沖縄まで僅か一時一眠り。夏は我が町で、冬は沖縄で暮らせたらいいのにゃー。と、私の猫脳が申しておりました …(笑)


 …無常も在りと目抜きみち四季は春…
 工事現場もありました。新旧の建物が立ち並び、少しずつ目抜き通りの外観は変化しているようです。町の変化は活力であり……。
 そして心には、ある日の残像がやがて思い出と郷愁という宝になる。暖かな陽気に中てられたものか、無常観さえ生きた証などと、そんな風に思うこの頃です。


 横丁は軒のひしめき春めきの 夕方設けて人並の立つ
 横町はご当地の台所を兼ねた、その街のシンボリックな存在ですね。夕方ともなれば賑わいも一際目立ちます。土産物の他に、魚介類や衣類。昔からの公設市場もあり、表通りとは別に時の流れも緩やかなディープな場所のようです。
 いらっしゃい屋根のシーサー春を添え 街の今昔みやげ売る店
 時代を感じさせるお土産物屋さん。屋根のシーサーも春浅き風に笑ってる。そして郷土料理のお店。民族衣装も華やかに。街の今昔、いい感じです。
 浅春の風は乗せたかゆいレール
 眩しい夕日に照らされた椰子が、やわらかな風に僅かに葉を揺らす。神々しさの光の中から名護行きのバスが現れ、目の前を通り過ぎていった。何と、旅は好いものだろうか。日常の切り取りが、こうも輝いて見えるのだから。
 可愛い二両連結のゆいレールよ。春浅き風に乗せた僕の熱い視線を、君はがっちり受け止めてくれただろうか……。 僕は晴れた日の出、日の入りの時間帯が好きです。でも歳をとったくせに、いまだに早起きは苦手なんです。ですから、専ら夕日愛好家を貫くほかないようです…(笑)
















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 設置 2015.01.30