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           桑原縛逐『詠み歌集』のページへようこそ   

< 博多から唐津へ>
姉子(あねご)の浜と言って、鳴き砂で有名だそうです。
岩手の吉里吉里海岸の鳴き砂がキリキリと鳴いたかどうか忘れましたが、ここがもしアネゴと鳴くなら、そりゃぁービックリだ!?……???(笑)
冗談はともかく、砂浜でこの透明度ですから憧れちゃいますね。
投げ釣りをしている人がおりました。昔、茅ケ崎へ夜釣りに仲間と出掛けてイシモチという魚を釣った事が有ります。
城ケ島や観音崎の岩場でもこんなに透き通っていないから、沖に出てシュノーケリングも楽しめそうですね。きっと若い頃にここに来ていたら、仕事は二の次にして移住していたかもわかりません。
磯の香りが炎天でむせ返るほど、あの若さが感じた匂いが目の前に甦りそうで、忘れる事に臆する事の多くなる中、何とも嬉しく愉快な気分になります。
楽しかったことって、中々忘れないものです。
きっと、旅の中でこうして昔に親しむ景色自体、更に重なり思い出が作り続けられるのかも知れませんね。そう思えば、歳を取ることも満更悪くないかも……(笑)

シュノーケル・水中眼鏡・足ひれの素潜り3点セット、これを装着すると私の場合はイルカになったように水中世界が変わります。
狭心症と頸椎を持病としてから使うことも有りませんが、何故だか今も物置に保管されております。ゴルフ道具もジャックニクラウスモデルだからと、もう出来ないのについつい残したままになって……。そう、私は断捨離が出来ないのです。でもゴミ屋敷にはなっていません。(笑)

< 松江の旅・最終日 >
色々な所を観光して印象に焼き付けたのですが……
三泊朝食を摂ったホテルのレストランで、一日の始まりの朝、外の風景を窓から眺めながら賑やかな雰囲気の中で食事が出来て、何故だかもう少しあの場所であの雰囲気を味わいたいと未練を持ったのです。
普段気兼ねの無い一人は楽で良いけれど、人の中に居る自分もまたいいものだと旅に出てはそう思いつつ、要するに私は相反するものと同居のバランスを上手く取りながら生きさせて貰っているのかも知れません。
総じて無いものも多い私の人生ですが、少なくても有るものに親しみ楽しめる事がなにより有り難いことなのかも知れませんね。
体は多少がたついているけど、年に1~2回好きな旅行が出来る事に先ず感謝しています。
そうそう、宍道湖が近いせいかシジミの味噌汁が美味しくて、初日からお代わりをしたくてたまらなかったのです。
しかし具材入りのお椀で別に用意されていたので、ひょっとして、お椀の数は人数分じゃないかと気が引けていました。

でも遂にもう一杯飲みたいという欲求が勝り、また最終日ということもあり、小声でスタッフさんにお代わり大丈夫ですかと声を掛けたのです。
そしたら大きな声と笑顔で大丈夫ですよ、お好きなだけどうぞと言われて、○○の3杯汁とも言うし余計恥ずかしくなったけど、そんなやりとりも何んだか楽しい思い出になりました。
こうして名残を惜しみつつ宿を立ち、次の旅も何かが有りそうな予感を持って帰途に就きました。


< 夏の九州旅行・旅の枕と七ツ釜 >
この日は唐津街道を走り、虹の松原、唐津城、見返りの滝、七ツ釜、呼子大橋に行く予定だったので、遠い日の遠足の朝の様に早い時間に目が覚めてしまいました。この日に限った事では有りませんが、これも日常でない楽しみの一部なのかも。

では少しの間、自問自答の会話調で、

宿の裏の駐車場が20時から翌08時まで400円なので、2日目からここを利用したんです。
節約できるところは節約したんだ。ふむふむ、感心。でも節約癖が付いてあそこでケチらなければ良かった思う事もあるでしょ。
そう言われると……。実はこの日、七ツ釜の遊覧船を乗らずに上から眺めよう思ったら、眼鏡岩と象の鼻のポイントを巡った時点で体力消耗が甚だしく断念というお粗末になりました。
へーぇ、そうなんだ。ケチにケチが付いたってわけね。
まぁー、そういう事。悔しいような、いやそうでもないような。はたまた慣れっこのような。
はて、何を言ってるんだか。
実は持病の体調変化に自分なりの基準を持っていて、ニトロペンを使用する局面を回避したのですが、こうなるなら素直に遊覧船に乗ればよかったとうい悔いが若干あったのです。でも遊覧船に乗っていれば時間の関係で、上からの眺めは見られなかったし、これはこれで良いと納得しようとするのです。
こんな時、次回が有るからと上手く気持を宥めるのですが、先ず再訪することはありません。
これで気持ちが収まるのが不思議なくらいですが、この処方箋って本当に効き目ありでしょうか!?……(笑)

< 夏の九州旅行・見返りの滝 >
一番近くまで来てみると、岩肌が荒々しくそれでも壮麗な背の高い滝でした。思わず飛沫の降り落ちてくる源はと見上げると……。

今年の春先でした。

天水の 満たる桜 堤かな 一羽の高き 舞い五郎山
                         ・2016.04.13詠み
見上げた信州高遠城址の広がる桜堤が、大空を天水の様に満面と湛えていた光景が思い返されるように、この時は見上げた真夏の青空の天井から降り注ぐかのようで、浴びる滝飛沫は心地よい涼でありました。

そして、

勇壮な雄叫びを後にあじさい橋まで道を下り、滝名(見返りの滝)の頃合いかと振り返ってみると、すでに滝も一筋細くなり風が吹けば揺られるかの様にその姿は柳腰、柔らかき女滝に変化したかのように、美しき姿を僕に見せてくれました。

< 夏の九州旅行・大宰府天満宮>
何と運よく、この日は天神祭りでした。楼門前で(菅原道真公ご誕生月の旧暦に合わせ)茅の輪くぐりする親子連れを偶然撮らせてもらいました。無病息災を願い僕もやりたい。けど……
楼門をくぐり本殿に向かい天神様にお参りしました。書の方は諦めておりますが、歌の上達をいただきたいと、飛梅にもご挨拶してお願いしました。
先ほどから賑やかな音が聞こえているので、そちらに向かいます。
広場ではちょうど、中学生くらいの和太鼓クラブの面々でしょうか、威勢よく太鼓の音が所狭しに響き渡ります。
ソロの太鼓から始まり二連三連と、メイン太鼓の連打で舞台・客席は最高潮。
バチを打つ手が速まれば、額の汗も一緒に踊りだす。
打つ手の舞や! 弾けや踊れ!!
いやー、太鼓の音が五臓六腑を駆け回る(正確には~に染み渡るですが)というか、身体中腹の底まで響き渡り久しぶりの感動でした。ライブはウン十年前のマリーンのコンサート以来ですからね。
若者と言うには少し早いけど、その分次の時代を担う気迫が、飛梅の純粋一途を媒介としてジーンと伝わってきました。

< 夏の九州旅行・門司港レトロ>
門司港駅は初めてですけど、特に駅は人の行き交う場所だから、しかもレトロ調となれば必ずと言っていいほど懐かしい気持ちが込み上げてきます。
この時は祖母の居た当時が同期したようで、そりゃぁーもう格別に懐かしく、きっと暇を作って僕に会いに来てくれたのだろうと、姿は見ずとも温かな空気を感じて嬉しかった。
祖母は和裁が得意な優しい人で、僕は父に叱られそうになると祖母の背中に回り込めば必ず助けてもらえました。
父は昔の人で祖母には逆らわないから、祖母は幼い僕にとって、神様以上の存在だったかも知れません。如何せん、親父は怒ると怖い人だったから。

そんな祖母が他界したとき火葬場に行くのを僕は拒み、両親を困らせた記憶があります。
どんなに宥められようと祖母の死を認め焼かれると言う事が納得できず、本当に焼場には行かずお骨になって帰ってきた祖母をただ呆然と迎えました。
後で父に説教され、幼心にも大切な人の最期を見送らない不義理が理解できたものか、ただただ泣き腫らした事を覚えています。
それ以来かな、特に母から、あんたは言い出したら人の言う事を絶対に聞かないから、何をするにしても先ず人の話をよく聞いてからにしなさいと、事あるごとに窘められ成長したのです。
で、こんな風になり…(笑)、独りよがりの詠み歌を始めたもんだから、あちらに居る母が「あれ、またあの子、へんてこりんな事初めたよ。お父さん何とか言ってください」、と言い「まあ、母さん。今回は人様にご迷惑をかけるわけでもなさそうだから」と父が返すと「なら、いいんですが」と母は少し不安げに、それでも両親揃って今回は笑って見過ごしてくれているようです。そして祖母なら、最初から無条件で見守ってくれているような気がします。
生来の気質はそう簡単に直りませんけど、一応努力もし10に8は人の意見を意識的に聴くようにして、自由気儘系な私は社会性を何となく担保維持しているようであります!?(笑)
私の悪い癖でつい笑にしてしまうのですが、
実はこの社会性の形成は重要で、うっかり世渡りの方便くらいに用いているといざという時メッキが剥がれ生来の気質に存在する負の部分に敗けて、何故あの人がとうような最悪の事態にもなり兼ねません。
しかし、常に心の内でそうあるべきと築き上げた社会性を意識していれば、二面性として存在する気質の負の部分封じ込めることもでき、いざという時人としての立ち位置を違えるよう事もないのだろうと考えたりもするのです。

学びの場は家庭であり学校であり、長ずれば社会や会社であり、時に思い出の中に教訓を見つけては、“生来の” と言うより社会性という “人となり” が形成されているのかも知れません。
しかしそんな思いも、ほんの短時間の中を駆け抜けていきます。あぁー無常なり。しかし、思い出は僕という存在に永遠を約束してくれます。
あの場所で感じた雰囲気さえ、もう既に懐かしさに変わってしまっても、新たな記憶を紡いだ思い出(経験)は深淵を覗くが如く、いずれまた新たの諭してくれることでしょう。

< 指宿・長崎鼻へ>
鹿児島市内から頴娃街道を南下して、前之浜から薩摩今和泉にかけて、左に錦江湾、右にJR指宿枕崎線と並行するようになると、十月を目前にして、依然夏を思わせるような強い日差しと強い輪郭の雲が、今も印象に残る程何か語りかけるかのようでもありました。
生見駅に立ち寄りホームを隅から隅まで歩きますと、一軒の廃屋が目に留まりました。途中の海岸通り沿いにも廃屋らしきものを数件見かけました。
人口・経済右肩上がりの時代に青春があった小生が、人口減少・経済低迷の時代を老いの目で見せられる寂しさ……。
それでも色褪せたもの悲しさの中に、ふとあの時代の輝きを容易に想像出来る自分も居るのです。
確かに手軽に使えるパソコンや携帯も無かったけど、より多くの人々に今日より明日という希望に満ち満ちていた感慨が眼裏に残っていて、艶をなくしてさ迷う風に儚さを感じてもなお、燦々とひかりの降り注ぐ廃屋の庭を見ていると、ふとあの日の情熱がなまめかしく滾る不思議が確かにありました。
社会がどうあるべきとか幸の感じ方は人それぞれなのでしょう。
けど、先行きに不安の多い将来だからこそ、また失われた〇〇年などを繰り返さないためにも、成長期に築いたストックが底をつくまでに格差縮小・中間層の生まれやすいより多くの人々が安心安全に暮らせる社会の仕組みを考えるべきだろうと、普段呑気にしていても (“だろう話しのジジ放談” で言い続けている)小生の場合はここを時代の嘆き処としております。
まだハッキリと見えませんが、小池新都知事の橋下氏以上に化ける気配に期待をしております。どうか、クリーンで無駄の無い都民目線の政治に、国政に睨みを効かせる社会保障の充実と中間層の生まれやすい仕組み作りにも取り組んで頂きたいものです。
政治・行政が先ず身を削り、その上の安心安全社会到来のためであるなら、税の高負担を厭わないとする人は結構多いと思うのです……。

< 岩崎谷西郷窟にて(2016.9月鹿児島旅行 >

お・おいの坂    (おい→自分の老いと西郷さんの負う身が掛詞)
              老いの坂にある自分は、時の経緯を一身に背負った西郷さん
          がここを最期と決意して下った坂の前におります。

み・水澄む窟に   静かに沢の井の水も澄むような季節に、こうして岩崎谷の窟
          を前にしていると、

な・為すと知る   (この坂を下りて行った西郷さんの)ことを為すという事が
          どういうことなのか、私にも少し理解できたような気がしま
          す。

え・永のせごどん  永遠の(親しまれる)西郷さんは、
し・死もまた命   (命→天命と人の心に生き続けるの掛詞)
          死してなお永遠の命があるように、人の心を捉え生き続けて
          おります。(それも西郷さんに下された天命なのかも知れま
          せん。身に降りかかること全て天命とした西郷さんらしいで
          すね。

折句…お・水・為・永・死の句頭が「おみなえし」となります。
1877
明治10年9月24日が命日ですから、西郷さんは多くの人に親しまれるように、おみなえしの花もまた、人知れずあちらこちらでその人を慰めようと咲いていることでしょう。
そして西郷さんを思います……
征韓論者の他の参議は別として西郷さんに征韓論は無く、樺太・北海道そして朝鮮半島をも狙うロシアの南下政策を意識した、朝鮮国に開国を求める遺韓論であったと思います。
しかし新政府が維新の際し発した朝鮮国への親書の、天皇上位と取れる文言をを取り下げない限り交渉も難しい状況でありました。だからこそ、これを自分の仕事と一命を賭す西郷流で有れば、ボタンの掛け違いの無い相互納得の行く条約の締結可能性が有ったと思うのです。
それを戦争になったら一大事として、強硬に西郷全権の使節遣韓計画を潰し西郷さんを下野させた政府は、その後一言もなく李氏朝鮮に圧力を掛け(日朝修交条規)条約を結ぶなど、西郷さんは煮え湯を飲まされる思いだったと思います。
それでも、外国(特にロシア)の圧力が掛かった時こそ、内政の不正を同時に正す時期と捉え、他県の乱に呼応せず辛抱し続けたのでした。
しかし、他県の度重なる士族の反乱から鹿児島を不安視した政府が、武器弾薬の県外撤去命令を下した事と、鹿児島出身警察官の少なからぬ人数の帰郷者を西郷さん暗殺計画と取った私学校生徒の暴発で、西南戦争の戦いの火蓋は西郷さんの意思に反して切られてしまいます。

< 城山展望台にて(2016.9月鹿児島旅行) >

展望台の見晴らしを引いた位置の背後が小山になっており、そこにハーモニカを吹いている人がおりました。
その切なき音色が、大河ドラマの中でシルクハット・フロックコート姿の村田新八が最後に引くアコーデオンの音色と重なってしまい、思わず涙が出てきました。

岩倉使節団に随行し帰国後大久保に将来を嘱望されていた彼は、西郷さんの参議辞任と帰郷を知って後を追います。
山城屋事件のように汚職が目立つ政府に残るより、西郷さんの下で私学校の実務を担って、将来お国の危機に備える事を尊しとしたのかも知れませんね。
洋装とアコーデオンを愛した村田新八どん。
武士であることも捨てられず。
切なきはただ時代にあったということでしょうか。


< 嘉例川駅(2016.09.30・鹿児島旅行より) >

手前の踏切から嘉例川駅方向を見ますと、小山の茂りを二つに割いて、鉄路広い見晴らしを求求めるかのように大空に向かって伸びておりました。

僕が駅のホームに立つと頃合いもよく、カタコト、カタコトとレールを叩き、特急はやとの風鹿児島中央行が現れました。

そして列車が着くと、車内アナウンスが有るものか乗客がパラパラ降りて来て、駅舎を見学しては記念車写真を撮ったり、女性車掌さんもその手伝いをして、山の駅のホームは一転子供の歓声やら人々の笑い声でとても賑やかになります。

それは、僅か5分の停止時間の事でした。
賑わい列車が去ると山の駅はまた、空、雲、風の静の中に山鳥の声を聞くような静寂に……

今回の詠み歌に、今年の5月、信州杖突峠の「やまそらまちや」に似たの表現をしてみました。

季節は違うけど、静寂が何もかも止めてしまったかのようで、私の存在だけを動かしていると感じたあの日に似ていたから……

< 西大山駅(2016.9月下旬・鹿児島旅行より) >
JR日本最南端の駅、指宿枕崎線の西大山駅にやってきました。
すると…「幸せを届ける黄色いポスト」あなたの “想い” を送りましょう。

愛・幸福・感謝・絆をJR本土最南端駅にある黄色いポストから、友人・家族・恋人に愛が沢山詰まった手紙にして送ってみませんか!
そうポストは語り掛けているけど、それを今知ったばかりだし……。
(※実際は向いの店舗で葉書を買えます)

それは、意表を突かれたというか。普段気儘を決め込んでいる僕だけど、絆を問わればそりゃあ平気じゃいられない。
でも何で、ここにポストが有るの!? 何で僕がここに居るの! ポストがあるから僕が来た。僕が来るからポストは有った。余計分かりにくくなってしまった。

どちらにしても、お前さん、少しは先のことも考えなさいと、問わず語りをされような。

そうだこれも何かの思し召し。取りあえず僕は黄色いポスト君にタッチして、気持ちだけ昔日の誰かさんに送りました。
やっぱり僕は後ろ向き。結局ダメじゃん(笑)

< 神戸港(2016.11月下旬・京阪神旅行より) >
神戸ハーバーランドへ向いました。歩道の木立の電飾が鮮やかに目に入ります。最近夜に出歩くことも無くなったけど、こういう刺激は気持ちを若返らせる効果があるようです。
夜の街には露わなものを隠す力が有るというか、世俗で過ごす疲れを闇に追いやり自然に寛ぎを呼び込む感覚を久しぶりに感じたようで、そりゃーもう嬉しくてたまりません。
店の窓明かりに、恋人同士のトキメキや家族の団欒を思い浮かべて、経験値の想像だけで気持が温まる歳となった自分に “人生いろいろあったけど、ようここまで来たものだ” と言うか、何だかしおさしささえ愛おしささえ感じてしまいます。
そして……
進行形の無い5年程は取りあえずそっとしておき、同調の温もりを感じれば、生きている事への感謝と先に希望を持てるような気がしたのです。
こりゃぁー、ひょっとして極トンかも(笑)
それは夏の夕べより冬の夜の方が、街や家の灯に、より多く温もりを感じるものかも知れません。外が寒い分、気持ちは余計火照るみたいな。
そう、この夜の誘いはいきなりであったけど、僕にとって大切な客人の訪問を受けたような、何時までも続く和みを感じたのです。
ホテルの翌朝の目覚めまで……。

< newyear2017・新春詠み歌 >
今年の新春詠み歌は、「あけまして・おめでどう」を折句した二首連歌風にしました。
※句頭、し…時節到来・四宇和平・松鶴延年など、と…東西古今・独立独歩・曇華(どんげ)一現など、から始まる 縁起・願望の四字熟語 を組み合わせて新年を祝えるようにしました。なお、四字熟語の字余りとなりました

では、参ります……

大晦日の夜。初詣の列車に乗って富士山に向ったら、空は曙。初日の茜に、薄っすら姿を現す富士の出初とは。 何と、これはお目出度い。
(※富士急行線に深夜初詣列車はありません)

そんな気分で一月一日の朝刊を開いてみる。さて、クジは当たったか……

昨年は川柳一句またがりの一首とした狂歌風でした。さて小生は江戸狂歌の太田南畝が好きなもので、今年もそんな感じで折句連歌風に挑戦してみました。

もっとも、精神性がどこか似ているよと言われたら、宝クジの当たりより嬉しいかも。
で、もし大当たりだったら? そりゃーもう ……(笑)

詠み歌を始めて二年と少々が経ち、おかげさまで新春詠み歌も三作目となりました。
小生は初心の “気儘に” を拠り所に、今年もマイペースで行こうと思います。

< 土佐堀川(2016.11月下旬・京阪神旅行より) >

趣きの有る橋の欄干で……

居心地が良いのか寒いのか分かりませんが、じっと固まっている鳩を手前入れて、肥後橋を行き交う人並みと高層ビル群を撮りました。
真上には冬暖の空が顔を覗かせていても、高層ビルの立ち並ぶ谷底のこの場所には満足に日も当たりません。
冬の陽だまりで寛ぐネコは柔らかな絵になり好きだけど、この鳩達の日差しも頼りとしない姿は痛々しいどころか中々共感するものがあります。 それは気儘道。あるが儘気儘に生きるしかないに通じるような気がして、何だかチュでもしたい気分でありました。

そして……

仕事場へ急ぎ橋を行き交う人に、見えるものが生活を作り生きるという一点になると、大事なものを守るための直向きな行者の様に映って、やはり人は性善説こそ相応しいと感じたりもするのです。

< 予期せぬ事・阪神野田駅(2016.11月下旬) >
些細なトラブル…(詠み歌と文中三句) 予期せぬ事

「ビラ配り寒(癇)に触れたるたなごころ」
……彼の不満は一体何なの。
阪神野田駅前にビラ(ティシュ)配りのお兄さんがいたので、丁度切らしていた当方から近寄ると、二個持っていた手から器用な軽業で一個だけ渡されたのです。ちょっ待ってください、そのウルトラC
それでは、ありがとう仕事ご苦労様の気持ちも素っ飛んでしまう。


「寒(癇)のビラ一つでやらぬを示しをり」……💢っ、ちょっと不満。
彼は虫の居所でも悪かったのか、余程嫌われたものです。少しムカッ付いたけどティッシュ一個は貰ったわけだし息をぐっと飲み込んで、こういう時は “ありがとう” とお礼をするのがよろしかろうと思い直したんです。
だって変な結果を招いてつまらない一日にしたくないし、逆に彼も失礼に気付いてくれたそれで良いと、当方の虫の居所も丁度具合の様腹八分、で留守を決め込む事にしたのです。

「空寒し虫の居所吾隠し又は腹八分……こう言えば大人だけど……。
実はこの虫の居所て言う奴は厄介で、居所次第では文句を付けていたかもしれません。

ならこういう時こそ、不快に感じたことを率直に伝えた方か、逆にそもそもの原因を知る事も有るだろうし。しかし気の利く人を手本に真似ようとしても、素質の問題なのか多分に無理のような気がするし……
誰だって弱点はありますよね。当方は初対面に大の口下手なのです…(笑)
まぁー焦らずに、先ずは自分の欠点・弱点を知るだけでも収穫としよう。
そうそう、後は来世で頑張れば良いさ。
おい、おい、…(笑)









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 設置 2015.01.30