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           桑原縛逐『詠み歌集』のページへようこそ   

<春よ、来い来い!おや、来たか!!>
春眠暁を覚えずにはまだ気が早いのですが、床を出ると朝の寒さはまだ肌を差すほどなのに、日ごと目覚め時の明るさは増していて、寝床にある肩あたりの寒さも解けるほどに、春近し!朝窓を揺らす日差しも確かに伸びています。
澄んだ外の気配の中に小鳥雀の囀りだけが耳元に囁けば、待ち遠しいこの日が今年も遂に来たと告げる合図。
母の居たあの日。彼女とデートの当日、懐かしい記憶のあれこれが、今から始まる日の朝のように感じてしまう目覚めです。
それは現実との区別も出来ていて起こる幻想感覚で去年一昨年いやもっと前から、僕が知っている柔らかき心地よさだから、この刹那の点の奇跡を感じた後に寂さや虚しさはなく、むしろ点の波紋は体内隅々に沁み渡り、無意識の温もりとなるのを感じます。
そうこれはきっと天からいただける生きる力なのでしょう。例え今が一人でも祝福された朝に僕は感謝します。
デジャヴではないけれど時の扉がすぐそこに有って、階段を下りてキッチンに行けば母の朝支度があるような、また僕が出かけの支度をすればあの日の恋人に会えるような感覚がそこにあるのです。
勿論、時の扉など現実に存在してない事を解った上の幻想的感覚なのですが、毎年必ず春先に訪れる待ち遠しい日でもありまして、今年は何時になく早い気もしますが気候変動の時節の乱れであっても、それをまた感じられて幸福気分になりました。


<表題と無関係なおまけ的な話>
リニアの開業(品川・名古屋間)は2027年ですからまだ先の話ですが、新幹線と同じように後の開業駅として、今の実験線見学試乗施設を富士山最寄り駅とする日を希望しているのですが、さてどうなることでしょう。

推測ですが新駅開業の否定材料として、この地域が現在JR東日本のカバー域であり2事業者間の旅客収入増減予測問題があるように思えます。

国分寺と武蔵小金井の賑わいは、開発賛成と反対で現在の繁盛は逆転してしまったと、衰退談の1つとしてあるようですから、JR東日本も鉄道輸送業だけに囚われず、JR東海をむしろ積極的に利用をするくらいに在来線富士急と共同運営で、大月・河口湖間の大整備計画との繁盛論を是非展開してもらいたいものです。

例えば在来線各駅直結のコンパクトコミュニティー構想とか。品川から10分、在来線を整備すれば富士山・河口湖まで20分もかからないのに……

これは白日夢、叶う未来夢! いや単なる鉄道好きの私の春の妄想か!!
あぁ、その日が待ち遠しい。ところで私の歳は幾つなの…とな(笑)

<景勝・猿橋>

最初の架橋は推古年間と有りますから、先人の知恵と言うか地質に適した橋構築の仕組みを経験的に知っていたわけですし、また哲学は後追いの実証に過ぎないと言われるように、この優れた技術も理論が後追いしているような直感として、人とは必要に対して知恵で必ず克服する優れた生き物なのだと改めて感心させられました。

知恵の育みを季節感に例えるなら、秋に物思いし冬に真理を探し、春を前に体系となす。何て……ね。


百済の渡来人技能者が、猿の群れが藤蔓をつたって対岸に渡る様子を見て、この4層羽根木の橋台を考えたとされています。

さて、春の風が吹き草木萌える季節こそ、意匠凝らしの猿橋には似合いそうです。
<清流・鹿留川>

先日の雨が空温む(さいかう)となり、春遅い高地の町の木の花や草の花も一斉に蕾をほころばすと思うと、日頃気儘あれこれ思案移り気な小生も、もう既に花の盛りを嗅ぐとばかりに、にわか贔屓気まぐれ花見の客となって気分に弾みがつきそうです。

一転まだ強い寒の押し戻しもあるようで、最近気象変動の極端な気温の濃淡は三寒四温の季節の柔らかさも失いがちですが、それはそれ、来ない春もなく各地の花の便りを聞いてはその時を眺め待ち、これはこれ、遅い春ももうそこまでと迎える喜びが逆に増す思いです。


これで我が家の木花草花も、競いを増して満面花びらとの装いとなることでしょう。

<桂川・蒼竜峡と田原滝>
「瀬をはやみ岩にせかれる滝川のわれても末にあはむとぞ思う」崇徳院

蒼竜峡に来る前はこの歌にあやかりたくて、思う人への歌を詠めればと思っていたのですが、水の流れに情念を溜めて思いを分ける岩が一つも有りませんでした。しかし別に詠み歌の出会いが有りました。では出会いの桜木と会話風に……。
テッペンは落雷で失ったものか、それとも激しい風雨によるものか、君もわけありの人生いや樹生なんだね。けど、三つ峠の稜線と重なりが妙に良いし花付けぶりも中々だよ。
何だって! そりゃあ長く生きてりゃ何かあるし、俺の姿はテッペンが無いから目立つだけで皆さん一緒さ。そう言うお前こそ訳ありなんだろう。
んー、過ぎてしまえば訳ありと言うほどの事では無くなるけど、まあそれなりに人並みの苦労もしたのかな。
ならいいさ。でも俺に話しかけるとはかなり変わり者だな。何だかお前さんとは気が合いそうだ。また来年も会いに来いよ。気が向いたらでいいからさ。そうだ、褒めてくれるなら来年はもっと見事に花を付けてみせよう。
有難う、嬉しいね!君の華ぶりまた見にこよう……。
<初夏の出で立ち・桂川・藤野~梁川>

景色はいよいよ新緑の季節へ。

ようやく花粉症を気にせず外出できるようになり気分も上々。
今では頸椎と心臓の疾患も有り夏の活動こそ苦手な齢となりましたが、元々夏が好きで海に出掛け泳いだり城ケ島や観音崎の岩場でシュノーケリングした日々が、すぐそこまで近づいてくるような気分になれるから、この夏の入口が私はたまらなく好きなんです。
やはり薫風という言葉が合いそうです。
遠い昔の記憶を近くに引き寄せる魔法の空気に、こころの引き出しの一つ二つが気持ちよく開かれ、彩りの香りに誘われて遂には踊りだす感じとでも申しましょうか、僕は当時付き合っていた女性と毎年梅雨が明ければすぐ、当たり前のように外房・湘南・三浦の海に出掛けていたのです。

あれは城ケ島だっただろうか、僕はシュノーケリングに夢中でそれでも海面に顔を出す度に彼女に視線を向けては、岩場のビニールシート桟敷で日傘を差し微笑む人の手のひらの中でこころを遊ばせる子供のように、その時その価値の大きさが分らなくとも充実する時の中にありました。

十分に遊び疲れた僕は岩場に上り、彼女の作った昼食を食べ終わりまた海に戻ろうとした時でした。

隣に席を取った家族連れおじさんに、駄目だよ! 奥さんほっといちゃ!! と言われ、あっ! と不意打ちを食らった目で彼女を見ると、ただ嬉しそうに微笑むあの子がいたから急に愛しさが込み上げてきて、この人を幸せにしなければ、そうだこの人と一緒になれば良いんだと結婚を意識したんです。

それが今の嫁ですと紹介できないのが残念と言うか、先の有るお互いの人生それも運命と聞き分けた先に新たに恋も有ったから、それにどれもこれも自分から別れた恋など一度も無いので縁を切った意識が無く、未だに好きという感情が残ったままなんです。

中には付き合いをしているだけでも辛い恋も有ったけど、僕の恋事情は全てあちらに去られた身の上で、誰一人恨みに思う人も無く今でも気持ちはあの時のままだから、仮にいや絶対あり得ない一緒の先の風景を独りよがりに描けてしまうのでしょう。相手にすれば今更迷惑な話でしょうけれど(笑)

それにどれも長い付き合いだったから、‘’あなた! 相変わらずお目出度いわね‘’ とか冗談や文句の一つも付けながら、今にも笑って現れそうな気がするんです。

こんな風に独りよがりに良い感じは掴めても、またどれも過ぎた日の記憶で現実ではないけれど、過ぎた事を失ったとせず幸せな時間を過ごせたと思考反転すれば、これ即ち安息自足(造語=心の平安は気の持ち方次第、自ずから導かれる)の境地とも言える気がするのです。

そして次なる恋の予感も……。でも、ちょっと歳だから大分無理かも。でもいいじゃん、こんな感じで生きられたら。

帰結を言えば私の求める気儘道の道標が、この思考反転を自然体にする事だと気付くことが出来ました。

何事にも捉われない事からの出発ですが、あれやこれやと慌て者の小生、実際何時体得できる日が来るのか分りませんけど……。虚仮の一念岩も通すでただ只管で参る所存です(笑)

そうだ! 御宿・勝浦は電車で、観音崎や城ケ島は車で行っていたな!!

矢沢永吉の ‘’時間よ止まれ‘’ と ‘’東京‘’ を車の中でかけたのでリアルに情景が甦ります。

あの日あの時も今頃の季節から、来る夏を楽しみにしていました。

真実を交わした言葉や気持ちは言霊を得て、異次元で人のこころの中に生き続け、何かの折に人はそれを目の当たりにするものでしょうか……。


<勝沼葡萄郷・大日影トンネル遊歩道を行く>

望郷の碑「ふるさとの丘の夕日に葡萄熟る」(作:深沢豊・千代子さん)


葡萄の収穫最盛期の農家の人々の働く苦労が夕日を浴びて、陽の終わりに家族や隣人と互いに笑顔で湛えあう喜びの時間に代わる、そんな故郷を懐かしむ情感がぽっと眼に浮かびます。

また小生の金沢八景、少年時代の小さな旅の綴りの夕日の情景が重なります。

故郷と言えば他に室生犀星を思い浮かべますが、私の場合人生は可もなく不可もなしで幼少年期を過ごした中野が故郷なのか、懐かしく恋しいのはやはり青年期を過ごした多摩の地になるし、少し寂しいと言うべきかむしろ贅沢だと思うべきなのだろうか……。

無いと思えば何もなく、有るとすれば終の棲家こそ我が心の故郷と言えなくもない。そう、思考反転!恵まれていると合点しなければつまらない!!

その思えば数か月先であろう望郷のおもいが、句碑を枕に詩情が満ちて我が事のように見えてくるのが不思議です。同時にこの巡り合わせの導きに感謝の気持ちも満ちて来て……
<腹ごなし・恵林寺ぶらり散歩>

快川(かいせん)禅師が織田勢の焼き討ちを受ける際、「安全必ずしも山水を用いず 心頭滅却すれば火も亦涼し」と大喝し入寂したとされる漢詩が左右対に分けて掲げられておりました。

絶体的権力にも従えないとする信念の気迫は、秀吉の権力誇示の前の千利休にも感じますが、それにしても生身の人間の火炙りは酷過ぎます。

対し禅師等は、平穏だから禅が行えるのではなく禅に集中すれば熱さも如何ほどのものかとした訳ですね。

私などは比喩に使われる程度の理解として、うだる猛暑の中で好きな野球に打ち込んだ若き日の快感としてしか受け入れられませんが……。

ですから、この精神力はやはり凄いと言うよりほかに有りません。

死を厭わない正義を処する果断さと、同時に人の心を慈しむ優しさを持ち合わせた時、人間は人間を卒業できるものか。

また人間転ぶ先の喜怒哀楽、そして善と悪全ての表れを我が事としたうえで、内心外心を制すれば人としての品格が備わるものか。

この時代人は日々命がけだから、そう思うと覚悟の有る生の有り方に高潔な潔さを、また反対に自らの戒めを感じさせられただ手を併せる気持が強くなります。

小生三徳(智・仁・勇)の持ち合わせに乏しくともその風向きを感じ、併せて気儘道の調和に助けを求めれば、我が人生も少なからず意味あるものと希望するのですが、中々どうしてどうして容易くも無く……

<朝日川と桂川の合流点の河原に下りてみた>

日にちを少し戻り、気分上々ある好天の日のことです。

国道139号線の廃橋の脇に、釣り人が付けた細い道筋が桂川と朝日川の合流点付近の河原に続いていました。

上から坂道の傾斜を見た時点で大丈夫としたのですが、いざ下り始めると足元が意外に覚束なく途中で尻もちをつき、体勢を滑りに任せたままの格好で下まで降りる始末となりました。

普段頸椎疾患で歩行が右に傾く感覚があるのですが、40近くまで通勤時、駅の階段5段跳びくらい平気で出来ていたから、このくらいの傾斜ならと思ってみたものの結果はやはりやれやれと言うことになりました。 

しかし、どうでしょう。

目線が川面に近くなると水の流れや辺りの青草がワサワサと騒ぎ出し透き通る空の青さから湧き出す緑の風が鼻面をかすめると瞬時に匂いは弾け記憶の一片が忘備にしまわれていた引き出しから顔を覗かせて何時もの様に嬉しそうに囁きはじめます

記憶が世田谷上町から家の都合で多摩に引っ越して来た時に遡りますと、一変する自然多き山河の誘いに強く惹かれ喜びの躍動を胸一杯にして、昭和45年頃の多摩市を流れる大栗川に当時飼っていた犬と川遊びをした日々が脳裏に甦るのです。
(中野区旧上町・世田谷区砧・上町と父親の仕事の都合で転居が多かった)

今となっては団地や多摩都市モノレールまで走り、丘陵地帯の清流という印象は微塵も残されていませんが、多摩ニュータウン建設以前当時自転車で野猿街道の大塚・堰場まで行くと、川底が一枚岩板の場所かあり水の流れがとても美しく釣りの餌になる赤虫も沢山いたような記憶が残っています。

当時、大栗川は宝蔵橋より上流がまだ自然の蛇行河川で、オイカワという綺麗な魚が多く生息していましたし、宝蔵橋付近で川タナゴ時には鮎も見たこともありました。

多摩川の関戸橋附近では犬と遊ぶには流れがきつすぎて、よく大栗川に出掛け犬のフジと一緒に水に入り川遊びを楽しみました。

フジは猟犬(紀州犬)としての性質が強く人間以外に恐れ見せた事が無く、中々泳ぎも上手で場所を構わず川の中に入るからなるべく釣り人の居ない浅瀬を選び、青年に成りかけの私は四手網を仕掛けたりフジも何かを追いかけては、気儘に飽きもせず夕暮れまで遊び呆けた一人と一匹の帰り道には、いつも満足顔が有ったのをつい昨日のように思い出します。
だから気持ちは今にも川に入りたいのに、足元がおぼつかなく尻もちをついてそれを諦め、本流の釣り人の竿先に思いを馳せ、キラキラ輝く川の流れをただじっと眺めては、古く朽ちた橋の有る今昔交差点の好対照の中に、懐かしい躍動の季節を間近にして、気分は儚くもありまた楽しくもあるかのように、
柔らかな微風の奏でにあの時この時を聞いているかのような心持なるのです

<最近思う事と、桂川・院辺橋>

僕は旅が好きだけど県内のあちこちを訪ね親しむことも、最近どうやら楽しくなってきたようです。晴れの日ならなお良く、歳は取ってもなお気分は若き日と同じくらい、躍動する季節感を肌で感じるのがいいんです。

どうやら活発に動き回るのはきつくなったけど、不思議と思いに耽る中で僕は飛んだり跳ねたり出来るみたいで、そういう日には決まって記憶の引き出しからご機嫌な妖精!?が顔をもたげ飛び出すと、野山を駆け巡って懐古のスクリーンを重ね合わせて時の自在を見せてくれるのです。今日があの日に感じたものなのか、それともあの日が今日なのか区別もないけれど、その異なる心象風景の融合に気持ちはふくよかに満たされる時の恵みを感じるからいいのかな。

きっとこういう心の作用は誰にも有って、良いなと感じることに理由は無いと、励まし生かそうとする生命の力そのものなのかも知れません……。

だから僕はもっと旅行もしたいし、また縁を得たご当地をもっと訪ね歩いて、今その時を見つめる瞳の中に数多くの心象風景を重ね合わせられたら、それが今の自分にとって割と満足できる時間の過ごし方のようです。

院辺橋!良い顔しているけどなぁー。化粧直しすれば町の名役者振りがまだつとめられそうで、昭和の雰囲気を漂わせているから、ただよき時代の懐かしさとしてぐっと迫りくるものがあります。(1959年昭和34年竣工)

しかし隣には新たな橋が建設中で、その様子から橋桁はもっと長いのにトラス構造でもなさそうだし、しかも橋台を川中に置かない架橋工事を眺めると技術の進歩は認めつつ何か味気ない気がします。やがてこのトラス橋も取り壊される運命なのか…何だかもったいない。

里曲(さとわ)に架かるこの橋は単に生活の支えだけでなく、むしろ半世紀以上凡そ3世代人生交差の中の郷土への情感を育む心象風景として、通りすがりの僕にさえ恵を与えてくれるだから、きっと郷土の人々とはるかに強い絆で結ばれているはずですね。

人生決して良い事ばかりじゃないけれど、良い景色に触れた視覚の先に宿す心象風景の不思議は、嫌な事さえ一片の塵の存在ほどに和らげる力があるような気がします。
そう言えば僕は寂しい時や気持ちが塞ぎがちな時こそ、積極的に街に出て人の日常に目で触れる温もりを感じたり、また旅も目で楽しんで沈む気持ちを和ませているようなんです。ついでに次に繋ぐ鋭気まで養っているのかも。
泣くのは嫌だ! 笑っちゃおぅ!! の精神なのか……(笑)



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 設置 2015.01.30