十分に遊び疲れた僕は岩場に上り、彼女の作った昼食を食べ終わりまた海に戻ろうとした時でした。
隣に席を取った家族連れおじさんに、駄目だよ! 奥さんほっといちゃ!! と言われ、あっ! と不意打ちを食らった目で彼女を見ると、ただ嬉しそうに微笑むあの子がいたから急に愛しさが込み上げてきて、この人を幸せにしなければ、そうだこの人と一緒になれば良いんだと結婚を意識したんです。
それが今の嫁ですと紹介できないのが残念と言うか、先の有るお互いの人生それも運命と聞き分けた先に新たに恋も有ったから、それにどれもこれも自分から別れた恋など一度も無いので縁を切った意識が無く、未だに好きという感情が残ったままなんです。
中には付き合いをしているだけでも辛い恋も有ったけど、僕の恋事情は全てあちらに去られた身の上で、誰一人恨みに思う人も無く今でも気持ちはあの時のままだから、仮にいや絶対あり得ない一緒の先の風景を独りよがりに描けてしまうのでしょう。相手にすれば今更迷惑な話でしょうけれど(笑)
それにどれも長い付き合いだったから、‘’あなた! 相変わらずお目出度いわね‘’ とか冗談や文句の一つも付けながら、今にも笑って現れそうな気がするんです。
こんな風に独りよがりに良い感じは掴めても、またどれも過ぎた日の記憶で現実ではないけれど、過ぎた事を失ったとせず幸せな時間を過ごせたと思考反転すれば、これ即ち安息自足(造語=心の平安は気の持ち方次第、自ずから導かれる)の境地とも言える気がするのです。
そして次なる恋の予感も……。でも、ちょっと歳だから大分無理かも。でもいいじゃん、こんな感じで生きられたら。
帰結を言えば私の求める気儘道の道標が、この思考反転を自然体にする事だと気付くことが出来ました。
何事にも捉われない事からの出発ですが、あれやこれやと慌て者の小生、実際何時体得できる日が来るのか分りませんけど……。虚仮の一念岩も通すでただ只管で参る所存です(笑)
そうだ! 御宿・勝浦は電車で、観音崎や城ケ島は車で行っていたな!!
矢沢永吉の ‘’時間よ止まれ‘’ と ‘’東京‘’ を車の中でかけたのでリアルに情景が甦ります。
あの日あの時も今頃の季節から、来る夏を楽しみにしていました。
真実を交わした言葉や気持ちは言霊を得て、異次元で人のこころの中に生き続け、何かの折に人はそれを目の当たりにするものでしょうか……。 |