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           桑原縛逐『詠み歌集』のページへようこそ   

<baku時空に恋歌を詠む。箱根慕情・001>
旅の道草(0009)こころは気儘、baku時空に恋歌を詠む。ameblo投稿日2014.010.02

   最初の3作品が詠み歌再開の原点です!


   初めてNHKの短歌・俳句番組に短歌を投稿しました。

   (amebloを始めて初の短歌です)

           のぞ
 夏がすみ 思いは挑む かなたへと
          思い
         うた届かねば 木霊に宿れ

 たしかあの日の箱根路は、夏霞の中にありました。近くに見るものはくっきりとその時を刻み、遠見を阻む霞はベールの中の心模様の暗示のように、今振り返ると、思い人への思慕の情を確かに抱えていたように思うのです。
 
この場合、相対する陰陽の起伏というよりむしろ、こころには色々な引き出しがありまして、その時無意識に近いものが何かに作用されて、時空を超え意識を得るとでも言うのでしょうか。 どうやら、私のこころは多重的にものを感じ考えて、時を占有する気持ちも不思議と気儘なのであります。

 短歌情夏霞み 思いは挑む かなたへと  うた届かなば 木霊に宿れ平成二十八年六月二十七日
  詩 思いの丈  私の思いの丈よ どうかこの霞みを越えて 遠く離れてしまった愛しい人へ とどいておくれ
            今とどかぬなら 木霊に宿り思いを留めて 愛しい人をこの地に誘い 山彦となり私の思いを伝えて欲しい  平成二十八年六月二十七日

 私にも恋しく思う人がおりました。丁度このころ、その思いを諦めようとしておりました。

 既にこの歳ですから分別盛りですからといっても、かりそめにも誕生日プレゼントの交換などして、一緒になれたらいいねと可愛いデコメや写メなどもたくさん頂いたりして、それはとても楽しゅうございましたからなおのこと、彼女の先の人生が幸せであるようにと願うのですけれど難しいですね。
 簡単に忘れさることなどできません時に、何故この俺を苦しめるのかと反発も有ったりしますが、それも深い思いが有ってこそと、人が思いをめぐらす中の相対の情として吞み込み、今は時に思いを委ねようと思っております。
ゆっくりとゆっくりと、あるがままを受け入れながら。
 回顧の中で恋歌を詠む……。今も少し切ないけれど、何もないよりいいのかな。ameblo 2016.10.07再掲載

<縛逐の詠み歌の特徴について。初めにー1・002>
旅の道草(0011NHKの短歌・俳句番組に投稿しましたが(2ameblo投稿2014.11.14
では、今回は表題の通り事始めとなる詠み歌の解説です。

 ①俳句に詠み上句を作ります →「やまもみじ 気儘極みて つやこやし
 ②下付を付け足しますします →「人目なごます 明日に盛れと
 ③連歌風またがりの一句一首とします。↓
 「やまもみじ 気儘極みて つやこやし  人目なごます 明日に盛れと
 それではこの詠み歌を、文字の色分けで意訳させていただきます。
 上句で無心の写生表現をします。(気儘→自分の気儘と木ままの掛詞)
 ①山の紅葉は、自生の気儘なようでも時に激しい風雨に晒されていることも有るだろう。でも季節来ればこうしてず美しく色づいている。何もかも受け入れた上の艶やかさ、これこそ気儘の極みかもしれないなぁー。
 下句で有心の感情表現をします。
 ②(その有り様に苦労は有ってど当然として いる。“虚仮の一念岩をも通す” )小生だって気儘を一心貫けば、遂には心に響く詩の一つも詠めると、山紅葉はそう励ましてくれているかのようだ。

 始まりは少しばかり傲慢な挫折感からでした。詩と短歌は若いときに書いておりましたが、俳句は初めてと言うべきで、何をするにしても知ろうとすればするほど奥が深いものと今では理解しております。小生のこの一句一首は、これから俳句・和歌を手本としつつ、継続こそ上達の道とする初心を決意したものです。
 ご覧の通り、小生の詠み歌は自己流から始まりました。ルールは句切れを上三句と下二句の間に取るだけを最低条件として切れ字十八字に拘らず、連体・已然切れなどを余韻残しとして、文意が切れていればそれで良いとする少し我儘な定型自由詩です。
 このチャレンジは俳句や短歌に対して挑戦を意味するものではありません。あくまでもシクジリから生まれた和歌に親しむ発想であり、即興が不得意で規則・規律が苦手な小生に、自分なりの遣り甲斐の動機付けをしたものなのです。
 言わば、一芸となし芸に親しむを以って形とした次第であり、またそうご理解いただければ有り難く存じます。

(始めたころは掛詞が多いいのですが、そろそろ折句などにも挑戦したいものです)
ameblo 2016.10.21再掲載                          


<baku桑原縛逐の詠み歌の特徴について挑戦2・003>
旅の道草(0011NHKの短歌・俳句番組に投稿しましたが(2ameblo投稿2014.011.14
 今回は元歌の推敲・詠み直しの様子です
 俳句風に詠み上の句を作ります。  
 元歌      「気儘なり 極め年月 実りあれ

 推敲・直し    「野の柿や 気儘が旨か 実る秋
 連歌風に下の句を付け足します。
 元歌      「山野の柿は 味も一芸

 推敲・直し   「山野育ちは 味も一芸

 連歌風またがりの一句一首として。

 
元歌   「気儘なり 極め年月 実りあれ  山野の柿は 味も一芸
 
推敲・直し野の柿や 気儘が旨か 実る秋  山野育ちは 味も一芸
                    推敲日・2016.09.16
 元歌に推敲・直しを入れたのは、上三句が俳句風の詠みとして手直しが必要だったからです。(通常は気にしません)
次に ”あの柿も” ”野の柿や” どちらにしようか迷いました。 ”あの柿も” の方が自分もそうだという意を強められるのですが、言葉の響きとして ”野の柿や” の方が綺麗だし、全体的な意味で自分の様だというニュアンスも含むと判断しました。
 そして下の句は、上の句に合わせてバランスを取りました。またこの歌は “初めに1” のバリエーションとして詠んだものです。
 上三句で無心の写生表現をします。
   「野の柿や 気儘がむねと 実る秋 野の柿は捨て置かれていても、(まま)生きていさえすれば良いと決め込むかのように実りを付けている。たくましいものだなぁー。
 下二句で有心の感情表現をします。
   「山野育ちは 味も一芸」 野に育つ柿の実は見た目では食べられそうにないけど、柿渋として、また皮を剥いて干せば干し柿にだってなることもある。小生の憧れる気儘も、通せば何か一味付けることだろうさ。
 下二句を有心として感情表現します……
「山野育ちは 味も一芸」 小生の憧れる気儘さも、お前の実りの味の様に決して美味ものではないのだろう。でも柿渋は役に立つとも聞くし、皮を剥いて干せば美味しい干し柿にだってなる。小生もお前の様に気儘を通せば、一通りでなかろうと何か味を付けることだろう。

002)では詠み歌の説明を、(003)では、推敲・直しの様子をご紹介しました。これは詠み歌の特殊性をご理解いただくためでございます 以降の掲載は、詠み歌とガイド的な雑感心象だけを綴りますので、どうぞご想像を膨らませて頂ければ幸いです。ameblo 2016.11.04推敲再掲載



<夢もみじ。大阪・京都、初秋の旅を目前に・004>
旅と電車と私(0011)新幹線で大阪、チンデンで住吉大社へ。ameblo投稿2014.11.28
 旅って良いですね。行く前から気分が盛り上がっていますから。今回は一人旅だから、好きな電車に乗り紅葉スポット巡る旅として、大阪に泊まり京都へ京阪や阪急で通うスケジュールにしたのです。盛り上がって当然でしょ!(笑)

 「
ゆめ紅葉 寝て待つ度の 果報かな  山叶う日和も たまの玉々

 実は、旅行日の前週の天気予報では期間中雨予報だったので、これまで天気に恵まれていた私としては、今回来られない旅友が晴れの神様の親戚だったのかと肩を落としていたら、何と旅行前日に予報を確認したら “晴れますよ” に変わっているじゃありませんか。
 そうなんですよ。前の年の北海道旅行も前日は台風で全便欠航だったのに、当日は台風一過秋の晴天でしたからね。実は何を隠そう私が晴れ男だった! それだけで気分がよくなる単純な性格はどうなんでしょう!?……???
 そして、旅は思い出になった時の方がより楽のしめる!?
 撮った写真を見ていると、何となく感じていた心象などがはっきり言葉になるというかむしろ発展形が有って、懐かしい気持ちと相乗するものか遂には妄想の領域さえ感じてしまうのです。この特性は、多分直ぐ頭が回転しない私独特のものなのでしょう(笑)

 
この旅は淀屋橋の三井ガーデンホテルに二泊して、チンデンに乗って住吉大社へ行ったり、京阪で平等院・伏見稲荷・東福寺の紅葉を見て、更に四条大宮から嵐電で嵐山の天竜寺へ行って阪急で梅田に戻るとういう、電車好きの私には満足この上の無い旅となりました。
 もう一つの旅の目的は、大阪に単身赴任中の弟と久しぶり会う事でした。弟は特に親父の性格に似て、人に何かしてあげたいという気持ちが強すぎるので、義妹さんに負担を掛けなければ良いがとつい心配になります。彼はこの時も会社の同僚の心配しておりました。そんな事を言いながら、気儘な兄ちゃんも一応弟の心配しているのであります。(笑)
 それと…… あれは、食事の驕りのお礼だったのかな? 弟から梅田スカイビルの空中庭園の入場券をもらったので、翌日最終日にスケルトン? エスカレーターに度肝を抜かされました。「行きは怖いが、帰りは慣れで、よいよい」何んだか童謡の逆説的笑ネタになりましたが、なにより屋上庭園から大阪の街の大景観が忘れられません。一人旅はこれが最初でしたが、マイペースで結構楽しい旅行が出来ました。ameblo 2016.12.02推敲再掲載

<錦帯橋>
旅と電車と私(0011)新幹線で大阪、チンデンで住吉大社へ。
ameblo投稿2014.11.28
 中央に三つの大きな弧を描く優美な太鼓橋。それを両岸に繋ぐ二つの緩い曲線の橋が連なる。五連からなる木造の大橋は、まるで龍神踊りの縦くねりの様に大河を一跨ぎして私に得意顔でありました。
 それはもう、どの角度からみてもとても勇壮しかも美しい姿で、少年時代の私に憧れを抱かせた強烈な印象を遥かに超えた絶景で、今の私を迎えてくれたのです。
季の盛夏(気のせいか)、悠々とした大河の流れに涼の気配を頂くものか、私は汗を拭きふき暑などどこかに置き忘れ、夢中で色々な角度からこの美しい橋の写真を撮っていました。
 実はこの錦帯橋、私の祖父の遠足の白黒記念写真の中で皆さん着物姿でしたけど、遥か昔の錦帯橋の風景はいかがでしたかと、聞きたくなるほど私の子供時代からの憧れの地でした。

 私の先祖は京都府の山間地に住んでおりましたので、子供の頃の祖父は汽車に乗り気持ちを高揚させてこの地を訪れたのでしょうと、自分の事の様ワクワクしながらこの景色の中を歩きました。
 それにしても不思議ですね。あそこに行こう。突然子供のころの強い印象を思い出したかのように、錦帯橋を訪れたわけですから。一度は日常の忙しさに完全に忘れ去っていた記憶も、印象の念として縁づけられた糸に手繰り寄せられていたのでしょうか。
 祖父の錦帯橋の記念写真を子供のころに見たと書きましたが、旅行から帰り古いアルバムを見直したら、有る筈のその錦帯橋の写真が見つからないのです。三連の太鼓橋はいくら探しても無く、住吉大社の太鼓橋の写真しか無かったのです。

 もっとも古いアルバムに数枚剥がされている箇所があり、生前父が整理してどこかに紛れ込んだかものか、はたまた自分の成長途中で記憶と写真がすり替わりでもしたものか。よく考えれば、明治・大正時代に京都から山口まで子供の遠足は普通ないですね。
 すると、祖父の錦帯橋の記念写真の記憶はどうして子供のころの印象として焼き付いたのだろう。捨てるはずの無い愛用の箸が突然行方不明になるとか、ある意味神隠し的な経験を持ちつつ真相はこの通り、私の記憶がトホホなのかも知れません。

 しかし写真が見つからなくても、強い思いがあったからこそ錦帯橋にも行き詠み歌に出来たし、また住吉大社にも行ったのだから。直接面識のない祖父の事は、多少謎めいていた方が尊厳や深みを感じて良いと考えています。 ameblo 2016.11.28推敲再掲載
  
<東福寺・通天橋>
旅と電車と私(0011)京阪で京都へ、阪急で大阪に戻る。ameblo投稿2014.12.05
 京阪東福寺駅から誘導順路に従い進むと、東福寺西側外周土塀の小道に入り、東福寺三名橋の最下流の臥雲橋(がうんきょう)で人の流れが停滞します。この辺りが通天橋を眺め、あるいは写真撮りスポットなのですね。
 ”黄や赤見事、捉え囚われ酔わせましょうか。とりつかれ目のぽっりと中に、諭し松葉の詫びごころ” 言葉に調子を取りたくなるような色の饗宴でした。


 元歌 「紅葉愛で 彩らわれし 通天橋  松葉もありて 妙の際立ち
 推敲1妙なるや 紅葉浮橋 松葉あり  奢あり詫あり 色々の妙
 推敲2紅葉谷 彩りの川 浮く橋の 松葉もあれば 妙の際立ち

臥雲橋から見ると谷に架けられた回廊が、赤や黄の濃淡の彩りの中に浮いているようでとても綺麗でした。しかしよく見れば、松葉の青が全体の色の美しさを引き立ていますそれを、主役が見事な赤の楓とすれば、薄付きの赤や黄色が脇役で、青などは好敵手或いは敵役と見たのです。僕の感性ってちょっと変わっていますかね。
 じゃー、どう例え見えたのかと言うと……
 社会にもバラランスが大事とすれば、富貧の二分化が急速に進む中でただ勝ち組になるための議論や方法論しかなされないような風潮が、主役至上的かなと思ったのです。格差は生じても、これから将来を築くべき若者が不正規など不安定な立場で、将来設計が出来ないような仕組みを助長する政治に問題があるように思ったのです。
 成功を手にする事が並大抵でないことも分かりますが、富の継承による優位性だけで固定化される勝者と、低所得で貧困のサイクルを背負う一方に固定化される者。この傾向は日本でも近い将来現実となると予測する説に気持ちを寒くするのです。
ちょっと待ってくださいよ……。勝者と雖も多くの残された他者の存在なくしてその存在も無く、それなら程々が有るだろうし、過ぎたるは寧ろ社会の綻びに繋がり絶対に良くないと、私は素朴な疑問を持つのです。その説の中でも、中間層の拡充こそ安定的な消費活動を生み景気を支える重要な要素としているのですから。
 世の中理想通りに行かない事は承知の上ですが、人間一人一人にスポットを当てれば生活者として性善説の顔を決して見逃せません。しかし家族・町会などの小単位を別にすると、人は組織(会社・政党など)の中で多数を形成した時、多くは担ぎ手となり利益だけを守るという点において、社会の非常識さえ常識とする傾向を持つようです
 福島第一原発の事故を起こした東電の村社会意識などがその例で、これは普段よほど気を付けないと分からない組織の裏の顔が見えた実例だと、個人的には強い印象で残されたままです。

 個人は組織内に措いて抑圧或いは洗脳されやすく、であるなら組織を含む社会全体の常識的規範は政治が常にリードする役目を負うのが当然だと思います。やはり、世の中を変えられる手段はやはり政治であり、常により良い政治家・政党を見極める事が大切だと改めて思いました。このまま格差が広がり続ければこの国の将来がとても心配です。何だか託けた話になりましたが、どうかこの国の将来が日本の美を代表する東福寺通天橋の収まりの良い見事な紅葉に重なりますように。
<天龍寺・曹源池>

天龍寺大方丈の書院の間に座り外の景色を眺めますと、見たかった色の饗宴が軒先の夢窓一杯に、さあご覧あれ!とばかりに曹源池庭園がありました。
天龍寺は南朝後醍醐天皇崩御の翌年、夢窓疎石の勧めで建武のご親政(新政)に一転反旗を翻して北朝を擁立した足利尊氏が、その意を解し開基(礎石※こじつけ)となった禅宗寺院と聞き及びます。
以降人の手に大事に育てられた庭園美は、尊氏の先帝に対する供養・敵対しても敬い(恐れ)を忘れず、今もその懐の深い心情を映し観る醍醐味を現在に伝えているかのようでした。
<独り詠み3首連歌・祝い歌>
大阪で単身赴任中の弟と約半年ぶりで会いましたが頭も少し薄くなり白髪も増えたかな。
で、もっぱら話は姪が女の子を出産したことで、小さい時私に甘えてくれたあの子が一児の母になり、そして弟がお爺ちゃんで私が大伯父さんなんです。当たり前としても感慨一入です。
そして後の世々も、なにより平和であれと願わずにいられません。
我が国には平和憲法が有りますが、このままの専守防衛では国を守れない。また国際貢献に支障であるとややきな臭い方向に政治が傾いているようです。さしあたりわが国の脅威は北朝鮮と、中国・韓国の一向に改まらない対日姿勢に有るのでしょう。北はともかく既に国交を正常化した国同士なのだから、例え今譲れない問題が有っても、どの国でも一国民として平和を望むことは確かなのだから中国も一方的に覇権を誇示せず、また先の戦争の歴史認識についても日本は中国・韓国に多大な迷惑をおかけしたという立場を明確にしているのだから、これに理解を示して頂きなおこれからの近隣国の平和維持の方向性の下で、一致協力して調査検証する機運にしたら良いと思うのです。我々日本人も一人の著書や狭い認識でアジテート的発言を慎み、多くの検証を元に真実を導き出す事が肝要で、これ無くして世界の理解
は得られないように思います。それより現実世界のもっと大きな問題として、地球温暖化・気象変動と毎年自然災害の規模の重大化は、一国の利益を考えるなど近い将来意味を持たないほど深刻化しそうな勢いに思えてなりません。もはや国家間の争いなど愚かな事であり、環境問題こそ今そこに有る危機として、各国協調・協力を求められる時代なのではないのでしょうか。

<目出度いもう一つの詠み歌>

それと話は変わりますが、お目出度い話題がありました。
某ウイスキー山崎蒸留所の誉です。
(毛利氏と和睦し備中高松城から大返しで、秀吉が天下取りの礎とした山崎の合戦と掛けてみました)
私はアルコールアレルギーでお酒には全く縁が無いのですが、やはり世界一お目出度いですよね。
<2015年・迎春>

私がこちら(県東部河口湖地域)に越して来て早や23年が経ちました。
純白の雪をいただいた富士山が綺麗に、しかも大きくもなく小さくもなく程よい形の姿が見えるところって結構ありますよね。
車ですと、新宿・八王子方面から国道20号線を大月へ。又は中央高速の大月インターで降りた場合は、少し20号線を大月方面に戻り、桂川大月橋東詰から枝分かれする国道139号線を河口湖方面に向かうと、すぐ都留市に入ります。
ここらからちらほら富士山が見え始め、以前の記事で紹介した芭蕉所縁の田原の滝があり、その十日市場の坂を上がり切りますと、そう、銭湯で見かけるような丁度良い大きさの富士山が、晴れ日に見られます。
収まりの良い富士山を心に描いて、なおささやかな望みを託せば、叶う夢を見たのも同然です。
<若き日を訪ねて・鳳来寺その1>

その当時、東京発夜行大垣行きに乗ってとりあえず何処かへ行こうと、気儘を決め込んだ仲間4人で旅に出ました。
列車は夜行のため停車駅も少なく、微睡の車中泊の時間は心地よく過ぎて行き、朝方車窓から見た浜名湖弁天島附近の景色が、二十歳を過ぎたばかりのあまり外界を知らない私の眼にいきなりいやー素晴らしい眺めだ! 一気に眠気もすっ飛ばすほどに気持を躍動させられたのを今でも覚えています。予備知識も無く突然素晴らしい景色を前にする。
これから始まる青春(はる)の日に、まだ梅一枝ほどに見る小さな感動と見聞しかないけれど、若さの勢いは日々発見!もっと他にも行き、この両足を記したいものだ!! それこそ旅の醍醐味とその時言葉にはならずとも感覚で知ったのです。
<若き日を訪ねて・鳳来寺その2>

青春の日々は多感で、鳳来寺山麓を友達と歩きながら過ごす楽しい時の中にあっても、日々の煩悶を抱えて生きていました。春の温かな日和に、少し冷たい風にあたっているかのように……
楽しい仲間との一緒の時間が有る中で、彼等と別れた後の醒めざめとした現実を、なにやらこの時一方に心の空洞として感じていたのでしょう。
その旅行の秋に詠んだものと、現在の心境で振り返り詠み直したものです。
<ある夏の日・早雲寺>

夏の日差しも西に傾きを深めると、辺り森の木々も憂鬱に暗みをおびて、蝉のしぐれ鳴く声がいにしえの息吹を呼ぶかのように一所懸命を歌い上げれば、どこ吹く風か時を選ばずとばかりに、古きご門を叩いては流れ込み、まるであの日の時を語り掛けているかのようでした。
武士の一所懸命は、武士道という生き方の精神性の規範を作りましたし、強弱は有っても、それは日本人なら誰もが有する魂の拠り所の一つのような気がします。
                          2013.08.02 早雲寺にて。






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 設置 2015.01.30