たしかあの日の箱根路は、夏霞の中にありました。近くに見るものはくっきりとその時を刻み、遠見を阻む霞はベールの中の心模様の暗示のように、今振り返ると、思い人への思慕の情を確かに抱えていたように思うのです。
この場合、相対する陰陽の起伏というよりむしろ、こころには色々な引き出しがありまして、その時無意識に近いものが何かに作用されて、時空を超え意識を得るとでも言うのでしょうか。
どうやら、私のこころは多重的にものを感じ考えて、時を占有する気持ちも不思議と気儘なのであります。
短歌 「情夏霞み 思いは挑む かなたへと うた届かなば 木霊に宿れ 」平成二十八年六月二十七日
詩 思いの丈 私の思いの丈よ どうかこの霞みを越えて 遠く離れてしまった愛しい人へ とどいておくれ
今とどかぬなら 木霊に宿り思いを留めて 愛しい人をこの地に誘い 山彦となり私の思いを伝えて欲しい
平成二十八年六月二十七日
私にも恋しく思う人がおりました。丁度このころ、その思いを諦めようとしておりました。
既にこの歳ですから分別盛りですからといっても、かりそめにも誕生日プレゼントの交換などして、一緒になれたらいいねと可愛いデコメや写メなどもたくさん頂いたりして、それはとても楽しゅうございましたからなおのこと、彼女の先の人生が幸せであるようにと願うのですけれど難しいですね。
簡単に忘れさることなどできません。時に、何故この俺を苦しめるのかと反発も有ったりしますが、それも深い思いが有ってこそと、人が思いをめぐらす中の相対の情として吞み込み、今は時に思いを委ねようと思っております。ゆっくりとゆっくりと、あるがままを受け入れながら。
回顧の中で恋歌を詠む……。今も少し切ないけれど、何もないよりいいのかな。ameblo 2016.10.07再掲載
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