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           桑原縛逐『詠み歌集』のページへようこそ   

<姫路城(京阪神・冬の旅より 2016.11.27>
 帰宅を急ぐ母と待つ子…(詠み歌と文中三句)
 仕事帰りなのか、お土産を持ち帰宅を急ぐ母親らしき女性とすれ違って……
…土産持つ母の頭上や冬昴…
 一日の仕事を終えた人の顔はとても穏やかで、すれ違い様、夜の静寂に残す後姿もどこか微笑んでいるような。社会に関わると別のスタンスだなと思う事があるけど、プライベートに戻る時間って何て優しくて平和なんだろう。
…顔見たし急き立てるのは六連星… …顔見たし親子の絆六連星…
 ある寒い冬の夜……。
 父の遅い帰宅は諦めて、母の帰りを待つ兄弟がおりました。母さんはきっとコロンバンのバームクーヘンを買ってくる。周期性で知る子供たちの期待は妙に高まっていて、それはこの日も的中したようです。

 少年はバームクーヘンの外側のココナッツをまぶしたアイシングの味の深みがとても好きでした。
 さぁー仏様に上げてからよと言う母の笑顔も、どこか何時もと違うとびっきりなのです。
 少年は思いました。僕等がこんなに喜ぶのが、きっと母さんも嬉しいのだろう。弟も母さんの顔を見てからはしゃぎっ放し。そうさ、僕等だって母さんの笑顔が大好きなんだから。
 すると……、さっきまで少年の耳に少し寂しげに窓を叩いた虎落笛も、今はどこか陽気な音階を奏でているではありませんか。

…寒暮夕帰宅の母の影踊る(又は急ぎ足)…
 すれ違いの女性は家で待つ子供たちの喜ぶ顔が早く見たいのでしょう。人の流れより少々急ぎ足で、自分の後ろ(影)が踊るのを感じるものか、少し照れるようなそんな幸せを通りすがりに放っていました。

<貴船神社(京阪神・冬の旅より 2016.1128>
 旅の夫婦の後ろ姿に、亡き父母を想う…(詠み歌と文中三句)
…夫婦旅見送る肩に冬の雨… …バス来ると言えずはにかむ冬小雨…
 貴船神社行のバスは15分毎に増発されていて、それを知るか知らずに夫婦らしき一対の後ろ姿が小雨振る道を歩き出したのです。
 気になるならバスが有りますよと一声掛ければ済む事なのに、何だかそれが出来ない。余計なお世話と思う躊躇からから、ただ見送るだけになって少し決まりが悪かった。
…好一対冬雨の中も楽しかろう… …傘一つマフラー寄せ合う二人旅…
 でもこの二人の後ろ姿は、小雨降は承知の事かどこか楽しげ見えたから、それはそれでよかったのかも知れない。バスに乗った頃には雨も止んだから猶更よかった
 そう言えば父も旅行が好きで、母を連れては何処かへ出かけていたっけ。仲睦ましさがこの二人に重なって、懐かしくまた憧れを見るような感じと言えばいいのだろうか。
…父母旅行まっぴら子にも冬温し…
 若い僕は両親の旅行に同行するのはまっぴら御免だった。そうそう最寄りの駅、また親父の強要で箱根・伊豆なら車で送らされた事も有ったなぁー。
 でもね、いつも思っていたんです。この両親の子供で良かった。いい夫婦だなって。
 特別な日だからと、両親が駄賃を弾んでくれたからではないですよ…(笑)

<箱根湯本を通り熱海へ・2017.02.20・熱海、河津の旅>
 伊豆山神社の境内で若いカップルと遭遇しまして。
…若さに気負う旅一人山笑う…
 神社の階段を上り始めると、後ろから若いカップルに追いつかれたので、足休めの踊り場で休憩がてら先を譲ろうとしたのですが……。
 何とこのお二人、にっこりとご一緒するじゃありませんか。息が上がり喘ぐ姿を心配してくれている風も有りましたが、それがかえって照れくさくなって……
…春疾風階段一気まるで猫…
 軽く会釈してから折からの疾風の如く、階段を一気に登り切っちゃったんです。猫が面食らって一目散みたいに、…ちょっと違うか(笑)
 そしたら途中でパチーンと左ふくらはぎ張っちゃたんです。嫌な予感がしたけど、この後筋肉痛となり痛みが引くまで4、5日掛かりました。相変わらず素直じゃないおっさんでした。やれやれ…(笑)

…願掛けの二つは一つ春はじめ…
 若い二人は拝殿でお参りのようです。縁結び宜しく何時までも仲良くね。
「どんな時でも笑顔を絶やさず接してくれる君が大好きなんだ」と言えば、
「あなたの傍に居られると安心できて幸せを感じるの」と照れる君。
 ……とくれば、人生有卦(うけ)に入ると言った気分の有頂天かな。一生忘れることのない出会いという一会。例え別れる事が有ったとしても長い人生の中で一期一会、いえ生涯一会の縁ですね。でも多すぎると一会の価値が下がるかも…(笑)恋も春も始まりがいいな。何て、おっさんはつくづく思うのでありました。
それでは、遠くから拝殿に向かい一礼をして写真を撮らせてもらってから、おっさんは消える事にします。

<望洋館と熱海梅園・2017.02.21・熱海、河津の旅>
 望洋館…春暁の空と海と去来するもの……
…縁の椅子春光座すか誰やある…
 夜明け前。カーテンを開けて布団でうたた寝を続けていたら、昨日の荒天が嘘のように春暁そのままの室内を染め始めたのです。
 そして広縁の椅子に日が当たると、今までそこ誰かが居たような残像を感じたのです。

…春暁や旅寓まくらに去来する…
 そのまま気分を委ねねてみると……
 親父さんが座っていたら似合いそうだね。あれあれ、性格まん丸のお袋さんがうたた寝でもしそうだよ。いやいや、遠い日にお連れさんと行った観音崎のホテルの朝日ようじゃないか……とか。
 幾つかの去来は、思い出すと言うよりこの光景にストックされていたと言うか、まるで穏やかなひかりの神々しさに語りかけられているような感覚であり、それは優しく何かを諭されているかのようでもありました。
…明け切ればネガの焼き付け春の海…
 夜が明け切ると、ネガから転写された映像が印画紙にパーッと焼き付きくように春の海がスローモーションで眼前に広がります。

<河津桜・伊豆の踊子・2017.02.21・熱海、河津の旅>
伊豆河津駅前・伊豆の踊子像を前にして……
…春の鳥風を捉えて舞い上がり…
 川端康成氏は “仏界入りやすく、魔界入り難し” と言う言葉をよく使われたそうです。これは一休宗純禅師の言葉とされ、善は誰にでも直ぐわかるものだけど、悪を認識するのは中々難しい。
……ならば悪(欲得)の中に身を呈して且つ悪に捉われなければ、それこそ修行の本文ではないか。そう維摩居士が文殊菩薩の仏道の問いかけに答えたものがジンテーゼ(合)なのかも知れません。

…分水嶺北へ南へ春流…
 善がテーゼなら悪がアンチテーゼであり、捉われない妥協をジンテーゼとし生き方の本質を見出して、一休禅師は理性有る?(実際は腑に落ち切れていないのでは…)奔放の中に天命を全うし、川端氏はそれを潔しとせず煩悶として抱えつづけ、最期は自らの命を断つに至ったのでしょうか。
…願わくは鳩は仏と舞うか鷹(鷹化して鳩と為る=春の季語)
 これを小生に問われれば、鳩の心を持ち且つ鷹の強さで生き抜くとして、一休さんと同じ方向を望みます。しかし欲得になお馴染まずとする生き方にも敬意を持てますし、伊豆の踊子という不朽の名作もそういう狭間で生まれたものなら、人生おおいに迷い悩むべし…でしょうか。
 真理を得る事は待ちかねた春のようで標でもありますが、果たして生きると言う事はどうなのでしょう。標とは見えては隠れる、尚悩みの一里塚なのかも知れません。


<勝沼ぶどう郷・甚六桜・2017.0412>
 勝沼ぶどう郷・満開の甚六桜公園にて……

…青きそら集う仲良し花の笠…

「皆さん楽しまれましたか。次は塩山に向かいます。なお乗車券は190円です」
 連なる花の笠の下に、10人ほどの団体さんかな。幹事さんの声もどこか張りが有って、僕も楽し気なざわつきに混じって「はーい」って、つい言っちゃいそうでした。

…とき走る幼き恋のめかりどき… …時走る君が気になるめかりどき…
 子供の頃の春の遠足。異性をハッキリ意識してはいないけど、何となく好きな子がいて、バスの席が近くになりお菓子を分け合うとき、ちょっと手が触れたりすると妙にワクワクした。
 遠い記憶なのに陽気に誘われたものか、節目のお告げのようにひょっこり首をもたげた。それは春の日のうたた寝に、過去に憩う穏やかな正夢を見る様な爽やかさだった。
…遠足の遠い夢見る節目越え…
 歳を取ると少しずつ子供に帰ると言うけれど、こんな気持ちで居られるならそれも悪くない。映画に引き込まれるように、思い出をスクリーンにしたら実話だから逃げもしないし、そりゃー臨場感この上ない。歳を取ると思い出たちと会話が出来るようになる?
 取りあえず、今年はもう少し旧友達と会える機会を増やそう。現実も大切だから……。


<函館の夜景・函館旅行より・2017.04.27>
函館の夜景(一日の変化を題材にしました)

…鍵をかく行く手の朝に燕啼き…
 出掛けしなに燕の飛来を目にした。入れ違に旅に出る僕の荷物は意外に軽く、足の進みも何時もと違っている。そして午後には函館に着いて、こうして夜景を目の前にすると何だか不思議な気分になる。遥かな距離を移動する燕たちは、一体どんなだろう……。

…春旅や一日二百里手を抓り…
 便利を手に入れた現代人であっても、近距離エリアで一日を過ごす事が多い。だから遠距離移動の感動のシーンの一日の変化の差に、夢うつつどっちつかずの怪しげな感覚になるのだろうか。手の甲をつねらなくたって、明日になれば自然解消されるけど一応やってみた。

…マッハの翼ありがたし春夜景…
 マッハ0.9の文明の翼を借りて、何の苦労も無く遠出の旅が出来きてしまう。しかも工夫一つで誰もがリーズナブルにその恩恵を受けられる。好きな電車・風景の写真もたくさん撮れたし、いい時代に生まれ合わせたなとつくづく感じます。その上に、漆黒に浮かぶ函館の夜景を実際に目の当たりしたのだから……。

<来宮神社・熱海、河津春旅2017.02.20>
雨の舗道(来宮春旅・詩と三句と詠み歌)

…眼鏡橋春のウインク雨光る…

 帰り際、春の雨が降り出した。鳥居の先の眼鏡橋の上を電車が走る。橋は右目をつむり、左目を開けてウインクしている。一筋の光が雨の舗道に放たれ足元まで届いていた。

…雨の夕まちの灯舗道はる見つけ… …雨の夕まちの明かりの暖かく…
 僕は小さい頃から太陽がキラキラしている中に居るのが好きだった。雨の日の夕方は気が塞ぎがちになる。すると“明日はきっと晴れだよ。明日が駄目でも明後日があるさ” 街の灯がそう囁いたような気がした。

…昨日明日の物思い春の雨…
 何の問いかけだろう。寂しいと感じても割と平気で楽しさの中に居ても孤独を感じたりもする。裏腹は対を為しバランスを取るものだろうか。思い出をただ過去とすれば寂しい。事実とすれば温もりを感じて未来にもつながる気がする。そうだそれで良い。多くを望むまい。かの一握の砂も掴もうとする気持ちが愛おしい。雨の日の物思いは晴れの日を輝かせてくれる。ならいっその事、春の雨だ! この身を打たせてみようか……。

<小江戸・川越 2017.05.18>
小江戸川越…初夏のそら出不精ついに街を歩く…

…街歩き豆や試食に汗を掻き…
 初夏の空の下、観光シーズン到来。懐かしい駄菓子屋を探しつつ、結局まめ屋の店員の威勢の良さに誘われて、甘いのも辛いのも両方好きですと答えたら、
 お店のお姉さんにいきなり手首を掴まれて、大きなお目目に捕まえられたまま試食を頂く事になり、汗ばむのを感じたのは陽気のせい……


…蚕豆の土産はたまた女の香なる…
 と、まぁー何でしょう。一人暮らしの侘しさと申しましょうか、普段億劫で外にあまり出ないので、そんな出先のハプニングがつい嬉しくなって……
 それを傍に居た友人に話したら、最初は持ち上げられて最後にたっぷり騙されてと冗談を返され、だよなと大笑いしながらも上機嫌なのです。

…土産の蚕豆ワンパック悔い残し…
 で、お買い上げは、蚕豆の抹茶味一パック。それじゃーねー。
 ひとり身だからしょうがないとしても、愛想たっぷりのお姉さんに悪かったかな。ちょつとした食い残し感悔い残し… 何てね(笑)
 実際は仕事熱心ゆえの事で、よく働く気立ての良い娘さんでした。歳を取ると些細な事でもつい嬉しくなってしまうんです。只々感謝です、有難う。


<月山富田城と山中鹿之助 2016.05.10>
月山富田城・山中鹿之助徳盛像を前にして…

…願兜おつる涙か走り梅雨…
 天はこれまでに鹿之助に幾度かのチャンスを与えながら、何故かお家再興の大義 “願わくば我に七難八苦を与え給え” としてしか聞きいれなかった。何とも皮肉な事でしょう。小雨の止み間の鹿之助像に涙を見た様な……。

…叶わぬか願の雲居の蜘蛛の糸
 戦は人の命の奪い合い。せめて大義は世の中の安定するところに働きやすくなければ。蜘蛛の糸ほどの情けとは薄情なものなのかそれとも……。天上の眼に果たして鹿之助の願いはどう映ったのでしょう。

…夏草や手招くように故事のある…
 衣川の古戦場の夏草に芭蕉翁が見たものに倣うかのよう、鹿之助像は走り梅雨の
夏草の中にひっそりと佇んでおりました。鹿之助の忠義。尼子氏と毛利氏の大儀。引いては信長・秀吉・家康の大儀。それぞれ私利私欲があっても、時代は犠牲を払いながらも体制の範囲を大きくしつつ世の安定するところ流れ着き。そして歴史は不当な外圧や世(体制)が腐れば、また何度でも戦を繰り返す含みを持つものなのでしょうか……。

<唐津城 2016.07.27>
 唐津城の山歩き。帰りは門前商店で涼をとる…


…城歩き帰り目ざとく氷菓買い…
 とても暑い日でした。商店が城に入口に有りました。
 行きはさほど気にも留めていなかったのに、汗をたっぷり掻いた後となると、確かあそこに有った筈と店を見つける目敏さ、いえいえ、そこにある有り難さは計り知れません(笑)

…外は蝉アイスケースに人だかり…
 外は蝉の鳴き声ばかりで人など誰も居ないのに、お店の中は……。
 前を歩いていたグループさんかな? なるほど! 皆さんアイスのケースに群がっておりました。
 どうやら僕も、それ目当てでお店に吸い込まれたみたいです。
…はた三本昼の酒屋は氷菓店…
 お店のお勧めなのか、棒状のアイスキャンディーが売れていました。僕は決して天邪鬼では有りませんが、普通にバニラモナカを買いました。一瞬周りの空気が固まったような!
 それと、店先に立てられたビーチパラソル三本。 “氷菓有ります” の幟となって、しっかり帰りのお客を誘っていましたね。
 そうそう、早稲田佐賀中学・高校の門前でもあるし……。

 なるほど。下校時間や団体客で中が溢れた時、このビーチパラソルの下もきっと賑わう事でしょう。

<下灘駅 2017.07.24・フーテンの寅さんと下灘駅>
…朝凪や駅のベンチの夢枕…(※俳句、迷いました・…朝凪や夢見るまくら駅ベンチ…
 駅のベンチの夢枕は柴又(懐かしい人達)を向いていて、自分主人公のヒーロー物語の夢を見る寅さん。起きている私が表ならせめて裏の影法師、良い夢ばかり見てくださいと……。
…はぐれ雲さては何処へと磯の夏…
 本当は、家族に囲まれていたいと思う寅さん。しかし、旅にでなきゃ間が持たなくなる。
 お兄ちゃんは普通がどうも性に合わない。何時も半端ばかりでごめんよ。でもね、旅に出るとお前たち家族の有り難さがよく判る。だから旅先の一人は寂しくなんかない。何時だって、いい夢を見ているような気分でいられるんだ。分かるだろう、さくら! じぁー達者でな、あばよ!
 そんな寅さんの台詞が聞こえるかのようです。

(※詠み歌、迷いました・朝凪の 駅のベンチや 影法師  夢の枕は 東を向いて
(※短歌、迷いました・はぐれ雲 吾に似たるか 夏磯の  近くて遠き 群雲のあり

 今回は、迷って捨てたものも紹介します。何時もこんな調子で苦戦しています
…片陰を列車通るや旅がらす…
 寅さん映画には鉄道・駅がよく出てきます。
 旅の気分はどこか “やさぐれ” で夢を追いたい自分の肯定なのだけど、普段は口うるさい家族がむしろ有り難い存在であると、寅さん映画を見ては自分の旅をしていた気がします。

 鉄道や駅のシーンは僅かな時間ですが、映画全体の潜在的なサブリミナル効果となって、旅情を掻き立てられていたような気がします。 今こうして下灘駅に来てみると、旅がらす、やはり悪くないと思います。
 駅舎の片陰の中を列車が走りゆく。寅さんと一緒なのかそれとも見送る私がいて、気分は既に旅がらす。そんな想像風景が浮かびます……。

<松山城筒井門 2017.07.25>
松山城筒井門・一服の涼、年は取っても夏めきを…
…つついもん風の行く手と雲の峰…
 ベンチの木陰は微風があって割と涼しく、風を追うように座った目線の先に、城下町とその屋根越しの小山の緑がよく映えて、空には峯雲、俯瞰の妙この上なし。
 手仰ぎを加えれば気持ちよく、贅沢な時間を貰ったような気分でした。

…一服のベンチのまみえ夏柳…
 すると歳は同じくらいかな、御婦人一人が暑い暑いと手仰ぎしながら木陰を求めて傍にやって来たので、ベンチの端に移動してどうぞと声をかけました。
 旅先ではこんなシーン、ありますよね。
…旅すがら無口忘れて夏めいて…
 女性は何でも、連れが遅いから一人で先に来ちゃったと言います。少し休めば暑さも和らぐでしょうと言いうと、もうお連れ一行が追いついた様子です。
 女性から見学はお済ですかと問われて、いえまだですがもう少し休んでゆきますと答え、僕は手を振って一行を見送りました。
 夏は能動的と言うか普段の無口には、旅先のちょっとした会話がいい刺激になります。無邪気な子供の頃のはしゃぎを覚えて、ちょっと嬉しかった。もっとも電車を撮る最中、同趣味らしき男性と目が合った時はムッとされましたけど…(笑)

<坊ちゃん列車…梅津寺 2017.07.26・>
旅の空、ひかりと影、そして想い出一つ…です。
…日盛りの踏む影ひとつ遠からじ…
 ここ梅津寺には、少し前まで通園地と海水浴場が併設されていたそうです。観覧車の有った面影はもう有りませんが、そう知っただけで光と影と、何やら郷愁めいて、思い出一つを近くに感じたのです。
…片陰や一羽きよげに休みをり…
 愛し方が分からないと泣いた人が居た。そしてこうも言った。一人で居る時が一番安心するって。ぎくしゃく付きで始まった恋だけど、その時僕は好きだと言う気持ち以外に何を考える必要があるのかと思っていた……。
 だけど、そんな彼女が清げで好きでした。
…当てもなし果実(過日)のかをる夏名残り…
 今僕はその一人と言う事を嫌でも考えてしまう環境にある。一人は気儘で良いと言っても、寂しくないと言えば嘘になる。しかしあの人の言った一人(心の平穏だと思う)が、別の意味で安心を繫いでる。
 歳を取ったものだろうか、欲しいものはそれほど多くは無いし、旅をして想い出に浸ったり、感じた事を文章にして日々穏やかに過ごすことを専らとすれば事足りるような気もする。あり得ないだろう幽かな夢想だけれど、もののあはれを知る結果にこそ由ありとして、再び相まみえ旅の町歩きが出来たら、それは何と楽しみなことだろう……。
 思い出を懐かしむだけではなく、続きまで想像してしまうだから本当に歳を取ってしまったなと感じます。以前の記事を繰り返すようですが、子供返りと言うか、全てを超えて少年の気持ちが少しでも甦る事が嬉しいというところでしょうか。

<桜島2016.09.29秋の旅で、何故か軽井沢の思い出に耽る>
…子ら燥ぐ二県を跨ぐ案山子かな…
 小学校の修学旅行で軽井沢・鬼押し出しに行った時、浅間山の大噴火で50段から上15段になってしまった鎌原観音堂の階段と、境内と階段が長野県と群馬県の境にある熊野神社を見学したのを思い出しました。
 両足で二県跨ぎをしたっけ。皆で、数珠つなぎの案山子の様に……。
…学び舎の初めての旅千秋楽… …初めての外泊友との千秋楽…
 宿泊は中軽井沢で、中野区の保養施設だったのかな。親と離れて泊まるのが初めてだった。友達との距離がより近くに感じた初めての経験だったのに、別れの巣立ちはすぐそこに迫っていた。
 遠足がミニイベントなら修学旅行は大イベント、千秋楽なんてね。

…赤とんぼ友等の笑顔と幾年ぞ…
 次に軽井沢を訪れたのは二十歳位で、残念ながら一人は他界したけれど、今も付き合いのある仲間たちの内の四人組だった。最近は合う機会がめっきり少なくなってしまった。しかしその分、会える日が楽しみでもある。ほら、首を垂れた稲穂を愛でるかのように赤蜻蛉が、みな親しそうに集まっている……。
 楽しい事ばかりではなかったけど、今こうして過ぎた日を振り返ると、所々に良くも悪くも千秋楽が見えてくる。
 この時、僕は浪人で彼等は大学生。西友、そして市営プール、一緒にアルバイトをして同じ気持ちを共有していた。これも懐かしいい思い出。

<富士山御中道を歩く 2015.09.30を思い出して>
 五合目駐車場付近も紅葉が始まっていたけど、探勝路を登り始めると、富岳の地肌の黒に反比例して、手に取るほどに黄と赤が鮮やかに見えるんです。草木が密生しているところでは秋の野や森を歩くようでもありました。
…御中道木々の物言う秋袷…
 富士山五合目の御中道をたった一人歩いている。目の前は艶めかしいほどに秋の装いだ。木々の赤や黄色が、雲や山や空の果てまでが、言葉も理屈も及ばぬ只一体となる感覚だった。それは突然だけど、どこか懐かしいようでもあった。
…鱗落つ律の調べに合わせ歌…
 生きている事が素晴らしいと、習慣というフィルターの晴れた視覚が感じ取った。すると気持ちが躍動する。メロディーが体内で奏でられるから、鼻歌と手拍子でもしたくなる。誰も居ないので口ずさんでみた。
…口ずさむ涙久しく空は秋…
 竹内まりあの “僕の街へ” を繰り返し歌った。普段なら涙を誘う歌でもないのに目頭が熱くなるから、堪えることも無く涙を流してみた。とても良い気分になった

 普段一人が気儘でいいなどと言っているけど、真偽の程はまだ揺れていて実は分からない。それでも、いつか本当の空の色を、見られるような気分になれたと記憶しておこう。

<永平寺 2017.10.24 福井旅行より>
 来世はあるのだろうか……。
 友人たちの会話の中で “死後の世界はどうなるのだろう” そんな話題が出たんです。お互い歳を取り健康診断で新たに疾患を指摘されたりで、見た目は元気なのに健康不安が有るからかな……。
…半ば過ぎ紅葉一点あおの中…
 一人の友達が、量子力学における “量子もつれ” という考え方で死後は有るという。するともう一人が、人間が死ぬと脳の中のマイクロチューブルが宇宙に放出されるといい、彼等がかつて学び舎で専攻した分野では半ば常識らしいのです。
 でも顕在意識、アイデンティティーと言う意味で、果たして死後の存在はあるのでしょうか。永平寺の境内で目にした紅葉一点。葉落し近し、と言えども凛として佇む。見習いたい心掛けです。
…来世とやありやなしやと秋湿る…
 意識と言ったって、あの時は酔っていてまるで記憶が無いとか、脳の働きと無関係でないはず。では脳を失った意識は死後どのように存在するのだろう。もし魂が転生し来世があるとするなら…
…来世ごと色なき風に輪廻きく…
「今生で積んだ経験やスキルや人格も、来世では一度リセットされますが、潜在能力として身に着けて生まれ変わるとすると、長じて天性に気が付き磨きを掛ければ時代のヒーローになるかも知れませんね」
 2014.10.24
のアメブロ記事の中でこんな風に転生を直感で書いているんです。丁度詠み歌を始めた頃でしたから、来世は今生の努力次第、歳などと言わず生きる事と向き合って最後まで学びとすることが肝要だと、自分に言い聞かせたかったのでしょう。しかし来世など本当にあるのでしょうか。有ると思えば有るような、無いと思へど有るような……。






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 設置 2015.01.30